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太刀若 峯五郎(たちわか みねごろう、1903年(明治36年)10月1日 - 1988年(昭和63年)8月13日)は、三重県度会郡宇治山田町(現在の伊勢市)出身で高砂部屋(入門時は友綱部屋)所属の元大相撲力士。本名は馬場米藏(ばば よねぞう)。身長178cm、体重98kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は前頭6枚目(1937年1月場所)。 == 来歴 == 1917年(大正6年)に横綱・太刀山一行が伊勢に巡業に来た際に入門し、太刀山の内弟子として1918年(大正7年)1月場所に友綱部屋(前頭・海山太郎)から初土俵を踏んだ。この場所限りで太刀山が引退して年寄・東関を襲名して東関部屋を興したため移籍したが、1919年(大正8年)5月に行われた勝負検査役選挙での落選して廃業したため、一門の高砂部屋(大関・2代朝潮)に移籍した。 初土俵から13年後の1931年(昭和6年)1月場所で十両昇進したが、1932年(昭和7年)1月の春秋園事件で日本相撲協会を脱退して革新力士団に加入した。しかし1年後に戻り、初土俵から16年後の1934年(昭和9年)1月場所で入幕を果たした。左四つからの寄りが得意であったが内気な性格であったため、前頭6枚目を最高に幕内を通算8場所務めた一般的な成績で終わり、1938年(昭和13年)5月場所限りで引退した。引退後は年寄・常盤山を襲名して高砂部屋所属の部屋付き親方となり、1968年9月に停年退職した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太刀若峯五郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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