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太平洋安全保障条約 : ミニ英和和英辞書
太平洋安全保障条約[たいへいようあんぜんほしょうじょうやく]
(n) the ANZUS Security Pact
===========================
太平 : [たいへい]
  1. (adj-na,n) peace 2. tranquility 3. tranquillity
太平洋 : [たいへいよう]
 【名詞】 1. Pacific Ocean 
太平洋安全保障条約 : [たいへいようあんぜんほしょうじょうやく]
 (n) the ANZUS Security Pact
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
安全 : [あんぜん]
  1. (adj-na,n) safety 2. security 
安全保障 : [あんぜんほしょう]
 【名詞】 1. security e.g., (guarantee of) military security, network security, etc. 
安全保障条約 : [あんぜんほしょうじょうやく]
 (n) US-Japan Security Treaty
: [ぜん]
  1. (n,pref) all 2. whole 3. entire 4. complete 5. overall 6. pan 
: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 
保障 : [ほしょう]
  1. (n,vs) guarantee 2. security 3. assurance 4. pledge 5. warranty 
条約 : [じょうやく]
 【名詞】 1. treaty 2. pact 
: [やく]
  1. (adv,n) approximately 2. about 3. some 
太平洋安全保障条約 : ウィキペディア日本語版
太平洋安全保障条約[たいへいようあんぜんほしょうじょうやく]
太平洋安全保障条約(たいへいようあんぜんほしょうじょうやく、英:Australia, New Zealand, United States Security Treaty)は、アメリカ合衆国オーストラリアニュージーランドの間で結ばれた軍事同盟集団安全保障に関する条約1951年9月調印。3か国の国名の頭文字を取ってANZUS条約(アンザスじょうやく)と略される。
== 条約締結までの外交 ==
1949年3月、北大西洋条約機構 (NATO)を発足させる北大西洋条約が結ばれると、アジア・オセアニア諸国の一部にはNATOに対応する軍事同盟を太平洋側にも作ろうとする考えが生まれた。その一つは中華民国(台湾)・大韓民国など直接共産主義勢力と接する国家を加盟させる構想であったが、アメリカによって拒否された〔菊池努「講和の「代償」」、pp121-123。〕。もう一つはイギリス連邦諸国とアメリカ合衆国を同盟させる構想で、オーストラリアが推進した。同国でこの構想を唱えたパーシー・スペンダー外相は、第二次世界大戦で日本軍がイギリス軍を東南アジアから駆逐してオーストラリアを攻撃した経験から、イギリスの代わりにアメリカ合衆国を頼る必要があると考えていた〔菊池努「講和の「代償」」、pp124-125。〕。
オーストラリアの提案に、イギリスインドカナダといった英連邦諸国はこぞって反対した。イギリスはマラヤ連邦香港などの植民地を抱えていたが、アメリカは植民地支配に嫌悪感を持っており、アメリカが加わる軍事同盟の適用範囲がイギリス植民地に及ぶ可能性はなかった。提案された同盟は、イギリスに利がないだけでなく、オーストラリア・ニュージーランドの軍事力を英連邦から引き抜くものだと考えられた〔菊池努「講和の「代償」」、pp125-126、pp134-136。〕。また、もし東南アジア・東アジアの反共国を広く含めた同盟にすると、その分だけ戦争に巻き込まれる可能性が高まるし、狭くすると適用除外された国・地域の不安が高まり、除外地域で共産主義者を勢い付かせるという懸念が指摘された〔菊池努「講和の「代償」」、p123、p126、p133。〕。当初、アメリカは、範囲画定の副作用を嫌って提案に消極的だったが、1950年に勃発した朝鮮戦争でオーストラリアが素早く陸海軍を派遣すると、オーストラリアとの同盟に価値を見いだすようになった〔菊池努「講和の「代償」」、pp126-129。〕。そこでオーストラリアは、加盟国を3か国に限ることにし、適用範囲もその周辺に限定することで、範囲問題を回避できるとした。ヨーロッパ移民でできた国に範囲をに限るなら、アジア諸国が自国だけ排除されたと感じることはないだろうし、戦争に巻き込まれる可能性も減じると考えられた。
この時期の英米両国は、日本との講和条約を控えて対日参戦国の同意を取り付けようとしていた。反日世論が強いオーストラリア・ニュージーランド両国には何らかの譲歩が必要だと考えており、それが交渉の期限を区切る力として作用した。1951年2月のアメリカ・オーストラリア・ニュージーランド3国の外相会談(アメリカのジョン・フォスター・ダレス、オーストラリアのパーシー・スペンダー、ニュージーランドのフレデリック・ドッジ)で、オーストラリアの考えにもとづく条約案が起草された〔菊池努「講和の「代償」」、pp139-140。〕。アメリカの意向で条約の軍事的性格を弱める修正をほどこした条約案は、同年7月、対日講和条約案公表の直前のタイミングで公表された。署名は9月1日、サンフランシスコ講和会議開始の3日前であった〔菊池努「講和の「代償」」、pp143-145。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「太平洋安全保障条約」の詳細全文を読む




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