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太田 剛希(おおた ごうき、1987年8月8日 - )は、徳島県名西郡石井町出身で、山響部屋(入門時は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士である。本名同じ。身長168cm、体重135kg、血液型はA型〔「相撲」編集部編『平成二十六年度版 大相撲力士名鑑』 ベースボール・マガジン社、2014年、36頁〕。得意手は右四つ、寄り。最高位は西幕下20枚目(2012年9月場所)。 == 来歴 == 幼少期から相撲に親しみ、石井町立高川原小学校在学中には、100kgを超える体重を生かした付き押し相撲で他を圧倒し、4年次から3年連続でわんぱく横綱の座に輝いている。石井町立石井中学校進学後は2年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会で個人優勝と団体3位、3年次は個人準優勝の座に輝くなど数々のタイトルに輝き、複数の大相撲関係者からスカウトされるようになる。中学卒業後は北の湖部屋(第55代横綱・北の湖)に入門した。 身長が入門当初は168cm(現在は170cmまで伸びている)しかなく、通常の新弟子検査の基準を満たしていなかったが、運動能力試験も行う第二新弟子検査を受検して合格し、2003年3月場所で初土俵を踏んだ。この時の四股名は「影丸」。同期生には富士東、佐田の海らがいる。前相撲では2連勝で1番出世としたため、同場所5日目に部屋の兄弟子である北桜(現・式秀)の化粧廻しを借りて新序出世披露を受けた〔がんばれ!郷土力士 大相撲関連記事 高知新聞 2012年10月8日閲覧〕。 初めて番付に名前が載った2003年5月場所は1番相撲で加賀谷に敗れるが、2番相撲から6連勝で6勝1敗。序二段に上がった翌7月場所も土付かずの6連勝としていたが、序二段優勝決定戦への進出が懸かった7番相撲で敗れてしまい、優勝決定戦進出を逃した。しかし翌9月場所は三段目に昇進と、非常に順調な出世だった。 しかし三段目に上がってからは三段目中位で大きく負け越すことが続き、2004年5月場所で序二段に落ちると、膝を故障し、3場所全休を余儀なくされる。一時は番付外まで番付を落としてしまったが、それまでの突き押し相撲から右四つの型へ相撲を変え、同年11月場所で土俵復帰。序ノ口に復帰した翌2005年1月場所は土つかずの6連勝とし、勝てば序ノ口優勝が決定する7番相撲は、十両で大怪我をして休場が続き、土俵復帰したこの場所は序二段の下位で6戦全勝としていた若天狼であった。しかし実力差は大きくあっけなく敗れてしまうと序ノ口は6勝1敗5人による優勝決定戦となる。優勝決定戦2回戦は巴戦形式で行われ、1番目で大和富士に勝ち、勝てば序ノ口優勝だった2番目は中谷に敗れてしまう。その中谷が3番目で大和富士に勝ったため、序ノ口優勝は中谷のものとなってしまった。 翌3月場所は序二段の中位まで番付を戻したが、1番相撲と2番相撲でその大和富士と中谷を相次いで撃破すると調子が上がり、7戦全勝となった。序二段の優勝決定戦に進出したが、旭天鵬の実弟である不動山に敗れてしまい、序二段優勝はならなかった。翌5月場所から三段目に復帰すると、三段目に定着はしたが一進一退が続き、2008年1月場所は2番相撲から6連敗で1勝6敗という大敗を喫してしまう。これを受けて、翌3月場所からは四股名を本名と同じ「太田」に改名した。 改名後も2009年5月場所は7戦全敗を喫してしまうなど調子の上がらない場所があったが、西三段目8枚目であった2010年3月場所を5勝2敗で終えると、翌5月場所でようやく幕下に昇進した。しかし結果は1勝6敗の大敗に終わり、1場所で三段目に戻ってしまった。陥落後も3場所連続で負け越しが続き、2011年1月場所では負け越せば序二段へ落ちてしまう東三段目91枚目で3連敗とし、後が無くなる状況となってしまったが、そこから4連勝で5場所ぶりの勝ち越しを果たす。それ以降は三段目中位の土俵が続いていたが、2012年5月場所は土付かずの6連勝。7番相撲は十両経験者の出羽鳳と6戦全勝同士、勝てば優勝の取組となったが、掬い投げで破って7戦全勝。三段目優勝を果たした〔大相撲 2012夏場所記録 47news 2012年10月8日閲覧〕。 この大活躍により、翌7月場所は2度目の幕下を西幕下29枚目の高位で迎えたが、幕下で初めての勝ち越しで終えた。しかし西幕下20枚目と最高位を更新した翌9月場所は6連敗の後7番相撲でようやく勝っただけで1勝6敗の大敗に終わってしまった。さらに11月場所も2勝5敗で、2013年1月場所は三段目に再び陥落してしまった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太田剛希」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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