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太田 哲三(おおた てつぞう、1889年5月8日 - 1970年7月4日)は日本の会計学者。一橋大学名誉教授、元中央大学教授、一橋大学商学博士。監査法人太田哲三事務所(後の太田昭和監査法人、現新日本有限責任監査法人)開設者、長浜ゴム工業(現・三菱樹脂)社長。叙従三位勲二等瑞宝章受章。 弟子に番場嘉一郎(一橋大学名誉教授)・黒澤清(横浜国立大学名誉教授)・岩田巌(元一橋大学教授)・不破貞春(元明治大学教授)・飯野利夫(一橋大名誉教授)・山邊六郎(元横浜国立大学教授)・井上達雄(中央大学名誉教授)・新井益太郎(成蹊学園名誉理事、成蹊大学名誉教授)・関口重之(元青山学院大学教授)等がいる。 ==来歴== 静岡県清水市(現在の静岡市清水区)生まれ。実家は呉服問屋。旧制静岡中学校(現・静岡県立静岡高等学校)を経て、1913年(大正2年)6月に旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業。 1913年9月に中央大学商科経済科講師となる。上田貞次郎門下であったため、担当科目は「商工経営論」と「経済事情」であった。また担当科目の関係で夜間部で「商業簿記」・「銀行簿記」・「会計学」を受け持った。これらの科目は苦手分野であったため、非常に困ったという。 1923年(大正12年)12月、中央大学を退職し、東京商科大学予科教授兼専門部教授となる。以後、旧制東京商科大学やその後身校である新制一橋大学で教鞭をとる。1948年(昭和23年)3月退官。同年12月に一橋大学名誉教授となる。 退官後の1948年4月、長浜ゴム工業株式会社(のちに三菱樹脂株式会社に商号変更)の社長に就任(1950年(昭和25年)まで)。その後、再び中央大学に戻り、経理研究所所長兼商学部教授を勤めた(1964年(昭和39年)3月まで)。 また公認会計士の資格を取り、1950年(昭和25年)2月に公認会計士太田哲三事務所を開業。この事務所は1967年(昭和42年)にわが国初の監査法人となる。現在の新日本有限責任監査法人の前身である。 1952年(昭和27年)6月、『固定資産会計の研究』で一橋大学より商学博士の学位を取得。 1965年(昭和40年)に勲三等旭日中綬章を受け、逝去と同時に、従三位勲二等瑞宝章を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太田哲三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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