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太田天神山古墳(おおたてんじんやまこふん)は、群馬県太田市内ケ島町にある前方後円墳。国の史跡に指定されている(指定名称は「天神山古墳」)。 別称を「男体山古墳」とも。東日本では200メートルを超す墳丘長を有する唯一の古墳で、東日本では最大〔東日本で天神山古墳(墳丘長210メートル)に次ぐ古墳のうち主な3基は次の通り。 * 御墓山古墳(三重県伊賀市) - 墳丘長188メートル。 * 舟塚山古墳(茨城県石岡市) - 墳丘長186メートル。 * 浅間山古墳(群馬県高崎市) - 墳丘長171.5メートル。〕、ひいては全国でも第27位〔(または第26位〔天神山古墳 (群馬県埋蔵文化財調査事業団)。〕)に位置づけられる。 == 概要 == 群馬県東部、太田市中心部の標高40メートルほどの台地の東端部において、前方部を南西方に向けて築造された巨大前方後円墳である。堀を含む全域は364メートル×288メートルにも及び、墳丘のうち後円部の裾を県道2号線(東国文化歴史街道)が、前方部外堀部分を東武小泉線が横断するものの、墳丘・内堀の大部分は良好な状態で残されている。 墳丘は後円部・前方部とも3段築成。墳丘長は約210メートルで、これは東日本最大の規模になる〔。鞍部には天満宮の祠が鎮座し、「天神山古墳」の名称は同神社に由来する。墳丘表面には葺石が認められ、墳丘周囲には2重の周濠が巡らされているほか、陪塚2基を付設する。主体部は未調査ながらすでに盗掘を受けているが、畿内王墓特有の長持形石棺が採用されており、ヤマト王権と被葬者の強いつながりが想定される。また北東300メートルには女体山古墳(帆立貝形古墳、国の史跡)があり、両古墳は基準尺・方位の点で同一企画下にあることが知られる。 築造時期は、出土した埴輪・土師器から5世紀前半から中期頃(第II四半世紀)と推定されている。上毛野地域(かみつけの:現・群馬県域)では、天神山古墳登場以前までは東毛の首長(別所茶臼山古墳)と西毛の首長(浅間山古墳・白石稲荷山古墳)とが個々に存在したが、東毛の首長が伸長し、ヤマト王権の後ろ盾のもと上毛野地域全体に及ぶ支配を確立して築造した古墳になる。 本古墳は、1938年(昭和13年)の『上毛古墳綜覧』では「九合村69号墳」として登載されている。1941年(昭和16年)1月27日には古墳域は「天神山古墳」として国の史跡に指定された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太田天神山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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