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太田 昌国(おおた まさくに 1943年 - )は、日本の評論家、編集者、翻訳家。 == 経歴 == 1943年釧路市生まれ。1968年、東京外国語大学ロシア語科卒。出版社からの就職が一旦内定したが取り消された。翻訳や校正、肉体労働のアルバイトをしながら、国立国会図書館などで研究活動をしていた。どちらかというと、ソ連を先頭とする世界共産主義運動に対する幻想は持たず、アナキズムの方向性を抱いていたと回顧している。 1960年代には、レボルト社からアジア、アフリカ、ラテンアメリカについての情報を扱った『世界革命運動情報』の編集、刊行に関わってきた〔本橋哲也「解説」『「拉致」異論――日朝関係をどう考えるか』河出書房新社〈河出文庫〉、東京、2008年3月20日、発行、247-248頁〕。チェ・ゲバラが1967年10月9日にボリビアで処刑された後、翌1968年にゲバラの著者の翻訳を、『国境を越える革命』の邦題の下、世界革命運動情報編集部名義で行っている。 1973年より1976年まで、メキシコやペルーをはじめ、ラテンアメリカにて労働しながら暮らす。日本に帰国後、ホルヘ・サンヒネスを筆頭とするボリビアのウカマウ映画集団の作品の自主上映活動に中心的な役割を担う。『シネマテーク・インディアス』を主宰する。ラテンアメリカの解放闘争や市民運動に対して市民の関心を喚起するような言論活動をすすめる。 メキシコのサパティスタ民族解放軍のコミュニケをまとめ日本語に訳した本『もう、たくさんだ!―メキシコ先住民蜂起の記録』を1995年に、在ペルー日本大使公邸占拠事件についての著書『「ペルー人質事件」解読のための21章』を1997年に出版。現代企画室編集長となり、株式会社現代企画室の出版活動を担っている。 現在にいたるまで、アメリカを中心とするグローバリズム、新自由主義、それらに対して、断固たる反対の態度を貫く。北朝鮮政府による日本人拉致問題について発言し、『拉致問題』を口実にした排外主義を懸念する一方で、冷戦中に無原則な北朝鮮礼賛をしていた日本の左翼知識人に対しても、左翼の立場から批判の態度をとる〔『「拉致」異論――日朝関係をどう考えるか』河出書房新社〈河出文庫〉、東京、2008年3月20日、発行〕。 著書『「拉致」異論――日朝関係をどう考えるか』の第一章に於いては、1492年のクリストファー・コロンブスによる「アメリカ大陸の発見」以来の植民地主義や、それ以後帝国主義国であったスペイン、イギリス、アメリカ合衆国が主導した2003年のイラク戦争の侵略性、及び日本国と日本国民の脱植民地化の未了などを論じている〔本橋哲也「解説」『「拉致」異論――日朝関係をどう考えるか』河出書房新社〈河出文庫〉、東京、2008年3月20日、発行、248頁。〕。 『救う会』の熱心な会員であった蓮池透との共著『拉致対論』を2009年8月29日に太田出版から刊行している〔太田昌国 蓮池透 『拉致対論』 2014年4月29日閲覧 〕。 太田昌国はパレスチナ問題に関しては専門外ではあるが、時々パレスチナに関して講演や執筆を行うこともある〔ミーダーン編『〈鏡〉としてパレスチナ――ナクバから同時代を問う』 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太田昌国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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