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太田 渉子(おおた しょうこ、1989年7月27日 - )は、日立ソリューションズ「チームAURORA(アウローラ)」スキー部所属の元障害者スキー選手。山形県尾花沢市出身。 ==来歴== 1989年に先天性左手全指欠損という障害を持って生まれる。小学校3年で地元スポーツ少年団に入り、スキーを始める〔ソチパラリンピック2014:「金へ走り抜ける」 日本選手団旗手・太田渉子選手 毎日新聞2014年3月8日〕。中学生時の2003年に日本障害者スキー連盟の強化指定選手になり、2004年よりW杯カナダ大会よりクロスカントリー、バイアスロンのワールドカップに参戦。 2005年のアメリカ世界選手権ではリレーで銅メダルを獲得、同年のW杯イタリア大会でも3位入賞。2006年2月、トリノパラリンピックに日本選手団史上最年少で出場し、バイアスロン12.5km立位で銅メダルを獲得。その後2006年9月より山形県立北村山高等学校を休学し、スキーと語学取得のためフィンランドのソトカモ高校に留学した。 2007年シーズン、W杯フィンランド大会のバイアスロン12.5km立位で初優勝。同シーズンはバイアスロンでシーズン総合優勝を達成した。 2008年シーズン、W杯フィンランド大会のクロスカントリースキー・クラシカルのスプリントで優勝。ノルウェー大会ではクラシカルのショート、スプリントともに優勝。同シーズンのクロスカントリー総合2位。 2009-10シーズンはW杯フランス大会バイアスロンロングで2位。2度目の出場となった2010年バンクーバーパラリンピックではクロスカントリースキー・クラシカルのスプリントで銀メダルを獲得した。その後、フィンランド留学を終えて北村山高校に復学し、卒業〔「マスコミ慣れました」パラリンピック銀・太田が卒業式 朝日新聞2010年3月29日〕。6月16日に日立システムに入社。 2011-12シーズンはW杯のバイアスロンで7度、クロスカントリースキーで6度の表彰台を獲得し、クロスカントリースキーシーズン総合で2位に入った。 2012-13シーズンはバイアスロンでアメリカ大会ショートの優勝を含む4度の表彰台、クロスカントリースキーでは3度の表彰台を獲得。バイアスロンでシーズン総合3位に入った。 2013-2014シーズンはワールドカップ第1戦カナダ大会でクロスカントリースキー ミドル クラシカル 5kmとスプリント クラシカル 1.25kmで2位。そして2014年ソチパラリンピックに出場。日本代表の旗手も務めた。 2014年4月16日に山形県庁で引退を表明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太田渉子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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