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太田 裕哉(おおた ゆうや、1988年8月16日 - )は、宮城県多賀城市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、東京ヤクルトスワローズの打撃投手。 == 経歴 == ===プロ入り前=== 多賀城市立第二中学校から一関学院高等学校に進学〔「週刊ベースボール別冊春季号 第78回選抜高校野球大会完全ガイド」ベースボール・マガジン社、2006年、158 - 161頁。〕。1年時から公式戦に登板。2年時の夏からエースとなり、秋の東北大会でベスト4に進出し〔、翌年の第78回選抜高等学校野球大会の出場校に希望枠で選出された〔。大会は1回戦の岐阜城北高戦で、尾藤竜一との投げ合いの末1-2でサヨナラ負けを喫した。夏は、岩手県予選準決勝で敗退。 高校卒業後は日産自動車に入社。同社野球部在籍2年目の、第79回都市対抗野球大会で初登板を果たすも、3年目のに野球部の活動休止が決まり、翌から同僚の久古健太郎と共に日本製紙石巻に移籍。日本製紙石巻では主に中継ぎとしてチームを支えてきたが、3月11日に発生した東日本大震災の影響で石巻工場が被災。野球部も活動を休止し、工場の泥のかき出し作業などに追われ、また自身も親族を失った中で、ランニングや筋肉トレーニングを続けていた。 10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議で、日本製紙石巻の同僚・比屋根渉と共に、東京ヤクルトスワローズからの指名を受けて入団(比屋根は3巡目・太田は4巡目で指名)。前年に入団していた久古とは、日産自動車・日本製紙石巻時代に続いてチームメイトになった。ちなみに、東京ヤクルトからの指名挨拶を受けた際には、挨拶に赴いた八重樫幸雄スカウト(宮城県出身の元・捕手)から小学校6年生の時に野球教室で指導を受けていたことを明かしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太田裕哉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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