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奈古屋元堯 : ミニ英和和英辞書
奈古屋元堯[なごや もとたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

奈古屋元堯 : ウィキペディア日本語版
奈古屋元堯[なごや もとたか]
奈古屋 元堯(なごや もとたか、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代の人物。父は毛利元勝。子に奈古屋元賀奈古屋元忠通称ははじめ与三、後に左近助。加賀守。
はじめ大内義隆に仕える。天文20年(1551年大寧寺の変で義隆が陶晴賢に討たれた後、大内義長から安芸国桜尾城を預かったが、天文23年(1554年)に毛利元就に攻められると、己斐直之坪井元政と共に降伏し、元堯は山口に退去した。この際、元就は元堯に書状を送り毛利家への仕えるよう誘ったが、元堯は断っている。
弘治3年(1557年)に大内義長が自害し大内氏が滅亡すると、仕官を願い出て毛利家に仕えた。後に主君と同じ名字であることを遠慮し、永禄8年3月22日1565年4月22日)に名字を「毛利」から「奈古屋」へ改め、同時に一文字三ツ星の家紋も改めた。
天正8年4月14日1580年5月27日)、備中国賀茂において嫡子である元賀が戦死したため、次男の元忠を嗣子とした。
== 参考文献 ==

*萩藩閥閲録


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「奈古屋元堯」の詳細全文を読む




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