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奈美 悦子(なみ えつこ、1950年12月27日 - )は、日本のタレント・女優。本名は並川 悦子(なみかわ えつこ)。奈良県北葛城郡広陵町出身。オフィスウォーカーを経てスカイコーポレーション所属。息子は元タレント・俳優の並川倖大。 == 人物・来歴 == 奈良県大和高田生まれ。金井克子、原田糸子、由美かおるに次ぐ西野バレエ団の4番目のスターとして、全国1500人の中から選ばれ、特別個人レッスンを数年間受け、16歳でデビュー。八尾市立曙川中学校を経て、大阪女子短期大学付属高等学校在学中の1967年2月、「発車、オーライ!」でドラマデビュー。同年7月「大阪ブルース」で歌手としてもデビューする。同年8月から「レ・ガールズ」が「文五捕物絵図」と並行して始まる。 1970年に19歳で、当時人気グループサウンズのヴィレッジ・シンガーズ林ゆたかとスピード結婚(初恋で結婚)。半年後のグループ解散や屋上の雨に濡れたビショビショの洗濯物の件などで夫婦関係が冷え込み、1972年に22歳の手前で離婚。周囲から「おままごと」と言われたが、おっしゃる通り「おままごと」だった、と当時を振り返っている。1975年に実業家と再婚。2か月後、会社が倒産。1976年に長男・倖大を出産するも、1980年に再度離婚。2007年9月16日に、20年の交際を経て1歳上のテレビドラマの撮影監督・緒方博と56歳で再々婚を果たす。最初の夫・林とは、離婚後も友人として連絡をとることがあると発言している。 その後は数々のテレビドラマや映画に出演し、名脇役として知られる。また、バラエティ番組にも多く出演しているが、その際には関西弁で話すことが多い、また、地元の在阪放送局の番組でも出演しているが、滅多な事がない限り大阪で仕事はしていない。 2004年、掌蹠膿疱症性骨関節炎のため芸能活動を休業。全国、北海道から九州まで56軒の病院を渡り歩くドクターショッピングの典型だった。結果、枕元には痛み止めの山だけが残った。秋田県の医師の診療や自己流の食事療法で回復に向かう。しかし、この出来事を境に食生活を見直し、「雑穀」を知るようになった。その雑穀を広めたいという一心で、2007年2月には、その当時日本に36人しかいなかった「雑穀アドバイザー」の資格を取得した。奈美にとって、まさに目から鱗の体験だった。同年9月には著書「雑穀美」を発表するまでの雑穀通になった。何てことはない、日本人のDNAにあった旬の野菜を中心にバランス良く食べる、それだけである、と自身の食生活を語っている。2007年からは寛解状態にあり、現在は手のひらにひとつの湿疹もない。2009年からは一生懸命に無農薬で種から小さい畑をやっている。5分付きのご飯か玄米に十六穀米を入れる。摂るものは徹底していて、油も完璧な油でアルファリノレン酸とアルファォオレイン酸、オメガスリーとオメガナインを3対1の割合で使っている、リノール酸使っていないし白いものも一切摂っていない。 現在は、女優というよりはタレントとしてバラエティ中心に活動中。バラエティでの歯に衣着せぬ毒舌が持ち味で、メディア取材の際、奈美は、雑穀アドバイザー資格を取得時、(病気がきっかけなので)「転んでもただでは起きませんから」と、再々婚した時は「おとしまえをつけました」と、それぞれ喜びのコメントを時に"奈美節"と呼ばれる毒舌でこたえた。乳首をなおしたのが様々な病気の原因ではともささやかれている。 趣味は陶芸で、個展を何度か開いているが、今は休んでいる。 家では1日中絶えず動き回っていて、5分間もじっとしていない。毎晩家で酒を飲む。 大きな望みは持たない。自分のペースでひとつひとつコツコツやっていく、1段ずつ確実に上がっていく。 美に関しては諦めない。もっときれいでいたい。目標は「奇跡の70歳になりたい。整形などではなく、天然で、正しい生活をして、正しい食事をして」。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奈美悦子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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