|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 良 : [りょう] 【名詞】 1. good ・ 磐 : [いわ] 【名詞】 1. rock 2. crag ・ 松 : [まつ] 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system)
奈良磐松(なら いわまつ、1879年(明治12年)8月15日 - 1961年(昭和36年)3月13日)は、日本の銀行家。政治家。元秋田銀行頭取。元金足村(かなあしむら)村長。 == 来歴・人物 == 秋田県南秋田郡金足村(現・秋田市)の豪農・奈良茂の次男として生まれ、兄が死去したため家督を継いだ。 旧制秋田中学(現・秋田県立秋田高等学校)中退、東京専門学校(現・早稲田大学)政治学科を卒業後、帰郷。金足村村議を経て、同村長を務めたほか秋田県町村会会長、秋田高等家政女学校(現国学館高等学校)理事長も歴任した〔秋田魁新報社編 『秋田県大百科事典』 秋田魁新報社、 1981年〕。 第二次世界大戦後の第一回メーデーを控え全国的に労働運動が盛り上がり、その余波が結成間もない秋田銀行職員組合にも波及。労使間対立が先鋭化する事態となった。この事態を収拾するため、辻兵吉頭取以下経営陣10名が退任したことを受け、旧・秋田銀行頭取などを務めた金融界の重鎮であった奈良が第2代頭取に就任した。在任は2年間と短期間ではあったが、戦後の混乱期における再建整備の難事業を無事に成し遂げた〔秋田銀行100年史編纂室編『秋田銀行百年史』 秋田銀行 、1979年〕。 退任後は趣味である美術品蒐集に専念。秋田蘭画の蒐集者として著名であったほか〔、画家等の支援者として金銭的援助を惜しまなかった。また、蒐集品のひとつである渡辺崋山筆「千山万水図」は国の重要文化財に指定された。 1916年(大正5年) - 1922年(大正11年)にかけて、所蔵品目録「松雪鑑賞」(1・2・3集)が刊行されている〔松雪は奈良の雅号〕。 金足村(現秋田市金足小泉)に建てられた旧奈良邸は、江戸時代の民家建築として重要文化財に指定され、秋田県立博物館の分館として一般に公開されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奈良磐松」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|