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奈良電気鉄道デハボ1350形電車(ならでんきてつどうデハボ1350がたでんしゃ)とは、奈良電気鉄道(奈良電)が保有した電車の1形式である。 == 概要 == 1954年9月に新造された、奈良電初のWNドライブ車であるデハボ1200形を用いて同年10月より運転が開始された近鉄奈良 - 大和西大寺 - 奈良電京都間特急は、同形式の優れた車内設備と阪神電気鉄道の3011形による梅田 - 三宮間特急に次ぐ国内私鉄第二位の表定速度を達成するほどの高速運転〔最高速度は105km/hで、従来の急行が所要45分で運行していた同区間を10分短縮する35分で運行、表定速度は66.9km/hに達した。なお、この記録は近畿日本鉄道へ合併され、大出力車の投入や重軌条化が進められた現在でさえ、2分しか短縮できていない。〕〔『奈良電鉄社史』pp.90-91〕の実現により、1957年以降の奈良電の旅客数増大に大きく寄与した〔『奈良電鉄社史』p.91〕。こうした状況を背景として、当初7 - 9時台と16 - 18時台の最混雑時間帯に1時間あたり各1往復、1日6往復が設定されたこの特急は1957年4月のダイヤ改正において大増発され、同時間帯に30分に1本、1日24本の高密度運転が実施されることとなった〔『奈良電鉄社史』p.91〕。 だが、当時の奈良電は1959年頃から自社営業圏の防衛を図る京阪電気鉄道と、京都への進出を狙う近畿日本鉄道という二大株主の勢力争いの場と化しており〔この争いは最終的に1963年10月1日の近畿日本鉄道による奈良電の吸収合併で決着がつくこととなる。〕、両社の主張の板挟みとなった奈良電経営陣は主導権を握って積極的な営業策を講じることが出来なかった。またそれに先立つ1953年9月25日に台風13号がもたらした風水害による甚大な損害とその復旧費用負担、それに続く1954年3月の国鉄による奈良線へのディーゼル動車投入による旅客の逸走といった事情により、奈良電の財政状況は自力での回復ができない程にまで悪化しつつあった〔『奈良電鉄社史』pp.93-97〕。 特急運転開始とその後の旅客数増加はそうした情勢下の奈良電にとって数少ない光明の1つであった。だが、特急増発が決断された1957年の時点で奈良電株式の配当は1954年当時の年1割から6分に減配されており、それどころか1958年には遂に無配に転落してしまう〔『奈良電鉄社史』p.93〕。 そのような財政的に厳しい情勢下で、特急増発に当たって発生する所用編成数の増加に対し、高価なWNドライブ車であるデハボ1200形をそのまま増備してこれに充当することは叶わなかった。そこでやむなく、在来車の運用見直しなどによって捻出された旧式の機器をデハボ1200形と同一設計の車体に艤装した、折衷型の準新車を導入してこの増発に対処することとした。 かくして、1957年3月にデハボ1200形と同じナニワ工機にてデハボ1351 - 1353として本形式3両が製造された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奈良電気鉄道デハボ1350形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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