翻訳と辞書
Words near each other
・ 奚琴
・ 奚眷
・ 奚鴻雁
・ 奛
・ 奜
・ 奝
・ 奝然
・ 奞
・ 奟
・ 奠
奠供山
・ 奠都
・ 奡
・ 奢
・ 奢り
・ 奢る
・ 奢侈
・ 奢侈品等製造販売制限規則
・ 奢侈禁止令
・ 奢侈禁止法


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

奠供山 : ミニ英和和英辞書
奠供山[てんぐやま]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とも]
  1. (n,vs) accompanying 2. attendant 3. companion 4. retinue 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

奠供山 : ウィキペディア日本語版
奠供山[てんぐやま]

奠供山(てんぐやま)は、和歌山県和歌山市和歌浦にある玉津島神社の背後のである。
== 歴史 ==
神亀元年(724年)2月4日に即位した聖武天皇は、同年10月8日に和歌浦行幸して14日間滞在した際、「山に登り海を望むに、この間最も好し。遠行を労せずして、以て遊覧するに足る、故に弱浜(わかはま)の名を改めて明光浦(あかのうら)と為せ、宜しくし守戸を置きて荒穢(こうわい)せしむことなかれ、春秋二時官人を差遣し、玉津島の神・明光浦の霊を奠祀せよ」というを発した。聖武天皇は和歌浦の景観に感動し、明光浦(あかのうら)と名付け、さらにこの地の景観を守るため守戸を置くことを命じたのである。『紀伊国名所図会』では奠供山を伽羅山とし、東に続く現在の雲蓋山を天狗山としているが、『紀伊続風土記』では「神亀元年御幸の時、登山望海此間最好と、詔し給ふは即此山なり」として、奠供山を詔が発せられた場所であるとしている。
天平神護元年(765年)10月の称徳天皇行幸の際には、南浜に「望海楼」が営まれ7日間滞在したとされているが、江戸時代後期の儒学者仁井田好古は「望海楼」を奠供山の南麓の市町にあったものとし、好古の撰文になる望海楼遺址碑(和歌山市指定文化財)にはそのことが刻まれている。望海楼遺址碑は、元は奠供山麓の市町川沿いに建てられていたが、現在は鄭供山山頂に置かれている。玉津島神社蔵の慶応3年(1867年)改刻の玉津島神社略記添付の「和歌浦玉出嶋社之圖」には、天保2年(1831年)~3年(1832年)に奠供山上に建てられたと考えられる拝所が描かれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「奠供山」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.