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奥南新報(おうなんしんぽう)は明治41年(1908年)から昭和16年(1941年)にかけて青森県八戸市で発行された新聞である。 == 歴史 == 1908年1月10日、近藤喜衛らが政友会系に属する公民会(奥南派)の機関紙として創刊した。月10回の発行。自由党系に属する土曜会の北村益らが主宰し、同じ八戸町の地元紙であった「はちのへ(八戸新聞)」とは政治的立場の違いから激しく対立していた。 また紙面の文芸欄から、数多くの文芸雑誌が生まれ、文芸欄に投稿した者たちで奥南詩文会(後の八戸郷土研究会)を結成するきっかけとなった。 1941年12月に新聞事業令により青森県内の新聞が東奥日報へと統合されるが、当時編集長を務めていた三浦広蔵はこれを拒み、廃刊を選択した。八戸市番町にあった奥南新報旧社屋はのちにデーリー東北社が創刊時の社屋として使用された。 現在、奥南新報の大部分は八戸市立図書館でマイクロフイルムで閲覧することが可能である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥南新報」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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