|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 奥 : [おく] 【名詞】 1. interior 2. inner part ・ 只 : [ただ] 1. (adj-pn,adv,conj) free of charge 2. mere 3. sole 4. only 5. usual 6. common
奥只見ダム(おくただみダム)は、福島県南会津郡檜枝岐村と新潟県魚沼市に跨る、一級河川・阿賀野川水系只見川最上流部に建設されたダムである。 電源開発株式会社が管理する発電用ダム。型式は重力式コンクリートダム、堤高は157.0mでダム堤高では日本で第5位(2009年現在)の高さであり日本一高い重力式コンクリートダムでもある。ダムによって出来た人造湖・奥只見湖(銀山湖)は湛水面積 (1,150ha) が日本では3番目に広く(2009年現在)、総貯水容量 (601,000,000m³) は第2位(2009年現在)の人造湖である(総貯水容量第1位は2007年に完成した揖斐川の徳山ダム (660,000,000m³) )。越後三山只見国定公園に指定されている。 ==沿革== ===只見川電源開発計画=== 尾瀬沼を源に阿賀野川に注ぐ只見川は、有数の豪雪地帯でありかつその流域のほとんどを山地で占めている。この為水量が通年豊富で急流であることから、古くより水力発電の適地として既に明治時代より電源開発計画が為されていた。只見川の総合的な電源開発は1936年より実施された「第3次発電水力調査」に基づき当時の逓信省から発案され、その後日本発送電株式会社によって只見川から阿賀野川まで階段式にダム式発電所を建設する計画が進められるようになった。だが新潟県も豊富な只見川の水を利用したいとして「只見川分流案」を呈示、更に旧東京電燈を母体とする日本発送電関東支社は尾瀬沼をダム化(尾瀬原ダム計画)して利根川分水する「尾瀬分水案」を企画し調整がつかぬまま戦争により事業は一時中断した。 戦後、荒廃した国土を復興するために電源開発の重要性が一段と高まったが、既に只見川では1947年に「只見川筋水力開発計画概要」が日本発送電によって纏められている。内容は戦前の案と同様で只見川に11か所、阿賀野川に6か所、伊南川に3か所、大津岐川に1か所の水力発電所・ダムを建設するものでありこの中で奥只見ダムは堤高150.0m、総貯水容量580,000,000m³、認可出力385,000kWのダム式発電所として計画されている。この案での開発が行われると当時開発可能な発電水力は推定1,960,000kWであり、東北地方の当時計画されていた発電水力の4分の3を占める一大電源開発地帯となることから俄然只見川への注目が集まった。 1951年、「国土総合開発法」に基づき政府は全国22地域を「総合開発特定地域」に指定し、ダム建設を始めとする大規模な河川総合開発を実施し地域の治水と経済・産業・農業発展を図ろうとした。これが「特定地域総合開発計画」であり、只見川はその包蔵水力の豊富さから当時電力不足が慢性的に続いていた首都圏への送電を図る為特定地域に指定され、「只見特定地域総合開発計画」事業の一環として「只見川電源開発事業」が動き出したのである。1951年、日本発送電は過度経済力集中排除法により全国9電力会社に分割・民営化され、只見川の水力発電事業は東北電力が継承した。一方電源開発のさらなる促進を図るため国策での新規電力事業を行うことを目的に翌1952年「電源開発促進法」が施行され、国営企業である電源開発株式会社が発足した。1953年に電源開発調整審議会において只見川電源開発事業における電源開発・東北電力の事業調整が行われ、奥只見ダム・前沢ダム(後の大鳥ダム)・田子倉ダム・滝ダムは電源開発が所管し、本名ダム等残り全てのダム・発電所に関しては東北電力が所管する事で調整が付き、この中で奥只見ダムの建設計画が正式に決定された。 ファイル:20081129只見川源流部Tagged.JPG|只見川・田子倉湖と奥只見湖、尾瀬 ファイル:20090905奥只見ダム.jpg|奥只見ダム空撮 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥只見ダム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|