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奥宮種夫 : ミニ英和和英辞書
奥宮種夫[おくみや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
: [たね, しゅ]
 【名詞】 1. (1) seed 2. pip 3. kind 4. variety 5. quality 6. tone 7. (2) material 8. matter 9. subject 10. theme 1 1. (news) copy 12. (3) cause 13. source 14. trick 15. secret 16. inside story 1
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

奥宮種夫 ( リダイレクト:奥宮種男 ) : ウィキペディア日本語版
奥宮種男[おくみや たねお]

奥宮 種男(おくみや たねお、1949年4月8日 - )は、福岡県小倉市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、126ページ〕(現:北九州市)出身の元プロ野球選手捕手)。
== 来歴・人物 ==
九州工では、後に阪神外野手として活躍する桑野議投手とバッテリーを組んだ。
1967年夏の甲子園県予選で決勝に進出するが、小倉工横山晴久投手に0-3で完封負け、甲子園出場を逸する。
1967年のドラフト会議で、サンケイアトムズの3位指名を受けて入団〔。サンケイには正捕手として大矢明彦がおり、1971年からその控え捕手として一軍に定着。大きな活躍の場はなかったが、1972年には29試合に先発出場。うち4試合はいわゆる当て馬だった。1974年には八重樫幸雄の台頭で、控え捕手の位置を譲り、出場機会も減る。
1978年のシーズン前に、金銭トレードでクラウンライターライオンズへ移籍。同年は若菜嘉晴の控え捕手として53試合に出場するが、翌年には田淵幸一野村克也の加入もあり、1980年オフに引退した〔。
引退後も西武に残り、一軍バッテリーコーチ補佐(1981年)、二軍バッテリーコーチ(1982年 - 1984年)、二軍バッテリーコーチ補佐(1985年)を務めた。1986年からは根本陸夫の師事の下、チームスタッフという新しい部署を設立し、責任者として黄金期を支える。1992年に一軍バッテリーコーチとして現場復帰し、1993年には二軍バッテリーコーチを務めた。フロントとなった1994年に退団。1995年からは阪神タイガースの二軍バッテリーコーチとなり、1997年まで務める。1999年には日本ハムファイターズの二軍バッテリーコーチを務めた〔。
2014年10月に東筑紫学園高等学校の野球部監督に就任した〔 日刊スポーツ、2015年7月6日閲覧〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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