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奥山廻り(おくやままわり)とは加賀藩が立山と白山の奥山での国境警備と、杉、欅、檜など重要な樹木7種(七木)の保全の為に組織した見分役である。これは十村分役の一つである山廻り役への加役または兼役として命じられたもので、独立した役名ではなく職名であり奥山廻り御用とも呼ばれる〔『奥山巡見ー奥山廻りのダイナミズム』 富山県[立山博物館]、2007年、18頁〕。ここでは黒部奥山(立山の奥山)での奥山廻りについて述べる。 == 概要 == 江戸時代初期の地図は立山の背後は空白であった。黒部川も下流から中流にかけては描かれているが、上流域は山陰に吸い込まれるように消えている。藩政初期、加賀藩にとって黒部奥山は未知の世界であった。しかし戦国時代の佐々成政の佐良峠〜針ノ木峠越で越中・信濃間の最短の間道として黒部奥山は軍事上の要点であった。また加賀白山の領土争いでは幕府の調停によって越前福井藩の領山とされた苦い経験もあり、松本藩との境をなす未知の奥山への重要度を認識していた。そのため加賀藩では慶長3年(1598年)以来、地元の者を召し寄せ聴聞し、役人を派遣して実地調査をさせ、やがて奥山廻りを常設して毎年巡視させた。領民に対しては「御縮り山」として立山参りの正規ルート以外での黒部奥山への立ち入りを禁じた。その後、この奥山廻りは明治3年(1870年)9月の廃止まで続いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥山廻り」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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