翻訳と辞書
Words near each other
・ 奥平俊六
・ 奥平信昌
・ 奥平充男
・ 奥平剛士
・ 奥平卓
・ 奥平壱岐
・ 奥平定能
・ 奥平家昌
・ 奥平康弘
・ 奥平忠志
奥平忠政
・ 奥平忠昌
・ 奥平忠明
・ 奥平忠隆
・ 奥平昌恭
・ 奥平昌成
・ 奥平昌敦
・ 奥平昌暢
・ 奥平昌服
・ 奥平昌猷


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

奥平忠政 : ミニ英和和英辞書
奥平忠政[おくだいら ただまさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

奥平忠政 : ウィキペディア日本語版
奥平忠政[おくだいら ただまさ]
奥平 忠政(おくだいら ただまさ、天正8年(1580年)- 慶長19年7月2日1614年8月7日))は、江戸時代初期の武将大名上野吉井藩第2代藩主、後に美濃加納藩第2代藩主。加納藩初代藩主・奥平信昌の三男。母は徳川家康の長女・亀姫奥平家昌松平家治の弟、松平忠明の兄。正室は里見義頼の娘。子に奥平忠隆(長男)。幼名は千松丸。官位は従五位下侍従飛騨守、摂津守。外祖父家康の養子となって松平姓を許されたため、松平忠政とも呼ばれている。
三河生まれで慶長2年(1597年)、菅沼定利の養子となり、菅沼忠政を名乗った。しかし定利が死去すると養子縁組を解消され、慶長7年(1602年)の父の隠居により、跡を継いで美濃加納藩主となった。しかし生来からの病弱であったため、父が実権を握って藩政を担った。
豊臣氏徳川将軍家との関係悪化から、大坂への出陣も危惧されていた慶長19年7月2日(1614年)、父に先立って死去した。享年35。跡を幼少の忠隆が継いだ。法号は雄山宝永光国院。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「奥平忠政」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.