|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 奥 : [おく] 【名詞】 1. interior 2. inner part ・ 平 : [たいら, ひら] 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
奥平 貞昌(おくだいら さだまさ、宝徳3年(1451年)?-天文4年4月20日(1535年5月31日)?)は、戦国時代初期の三河国の国人領主。久保城の初代城主。奥平貞久の子。奥平貞勝の父。入道後は「道閑」と号した。 ==生涯== 今川氏に仕えて三河国東部に勢力を伸ばした。永正2年(1505年)、今川氏親により遠江国浜松荘(現在の静岡県浜松市付近)の一部を所領として宛がわれた。 永正11年(1514年)、今川氏親の遠州曳馬城攻めに呼応し、 同国の井伊谷に在る御嶽城(三岳城)を攻め落とした。以後、この城番を務める。この頃の奥平氏は戸田氏とともに今川氏の傘下として松平氏や牧野氏と争っていた。 ところが、松平清康が東三河平定に乗り出す享禄年間(1528年~1532年)には清康に従い、八名郡の宇利城攻略戦に従軍。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥平貞昌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|