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奥平貞昌 : ミニ英和和英辞書
奥平貞昌[おくだいら さだまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

奥平貞昌 : ウィキペディア日本語版
奥平貞昌[おくだいら さだまさ]

奥平 貞昌(おくだいら さだまさ、宝徳3年(1451年)?-天文4年4月20日1535年5月31日)?)は、戦国時代初期の三河国国人領主。久保城の初代城主。奥平貞久の子。奥平貞勝の父。入道後は「道閑」と号した。
==生涯==
今川氏に仕えて三河国東部に勢力を伸ばした。永正2年(1505年)、今川氏親により遠江国浜松荘(現在の静岡県浜松市付近)の一部を所領として宛がわれた。
永正11年(1514年)、今川氏親の遠州曳馬城攻めに呼応し、
同国の井伊谷に在る御嶽城(三岳城)を攻め落とした。以後、この城番を務める。この頃の奥平氏戸田氏とともに今川氏の傘下として松平氏牧野氏と争っていた。
ところが、松平清康が東三河平定に乗り出す享禄年間(1528年1532年)には清康に従い、八名郡宇利城攻略戦に従軍。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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