|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 奥 : [おく] 【名詞】 1. interior 2. inner part ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 雄 : [おす] 【名詞】 1. male (animal)
奥村 綱雄(おくむら つなお、1903年(明治36年)3月5日 - 1972年(昭和47年)11月7日)は、昭和期の実業家。野村證券元社長・会長。野村證券中興の祖と言われる。 ==来歴・人物== 1903年(明治36年)3月5日、滋賀県甲賀郡信楽町(現甲賀市)に生まれる〔「日本の実業家-近代日本を創った経済人伝記目録」(日本工業倶楽部編 日外アソシエーツ 2003年)〕〔「私の履歴書 12集」 「奥村綱雄」の項(日本経済新聞社 1969年)〕。生家は代々信楽焼の窯元をやっていたが、父は綱雄が6歳の時に大阪堺に移住し菓子の製造販売業を始めた〔。 1926年(昭和元年)に京都帝国大学経済学部卒業後、野村證券へ入社〔〔。1936年に満州視察団に参加し、1945年に取締役した。1946年(昭和21年)公職追放による経営陣退陣の中、綱雄は1947年(昭和22年)に専務、1948年(昭和23年)には45歳の若さで第3代社長に就任した〔〔。証券取引法に基づく証券業者として登録。1951年(昭和26年)に連合国との交渉の末、証券投資信託法を実現させ、委託会社の免許を受ける事に成功し、財閥指定を受けた「野村」の社名を守った〔〔。1959年(昭和34年)に社長の座を瀬川美能留に譲り会長に就任し〔、1968年(昭和43年)に相談役に退いた。 その他には東京証券取引所理事、経済団体連合会外資問題委員会委員長、ボーイスカウト日本連盟理事長なども務めた。石坂経団連会長と共に資本自由化促進の旗振り役を務めた〔。1972年(昭和47年)11月7日死去、享年69。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥村綱雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|