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奥村 鋭作(おくむら えいさく、1870年6月18日〈明治3年5月20日〔『日本陸軍将官辞典』184頁。〕〉 - 1945年〈昭和20年〉11月12日)は、明治・大正期の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 ==経歴== 三重県河藝郡(かわげぐん)玉垣村(鈴鹿市)出身。父は要蔵(伊勢亀山藩士)で、母は(柘植)たき。明治24年(1891年)に陸軍士官学校卒業(陸士2期)、日清戦争に動員された後に陸軍大学校に入学し、明治32年(1899年)に同大学校を優等で卒業(陸大13期恩賜)。明治35年(1902年)9月にオーストリア・ハンガリー二重帝国首都ウィーンに向けて出発。明治36~37年にチロル王立猟兵第4連隊(ザルツブルク;Tiroler Kaiserjäger 4. Regiment)に隊付〔『明治三六年七月二五日墺国駐在近況報知』〕。明治37年(1904年)、日露戦争勃発により日本に緊急帰国。明治39年(1906年)4月にふたたびオーストリア・ハンガリー二重帝国首都ウィーンに向けて出発。明治39年夏に(オーストリア・ハンガリー二重帝国)陸軍射撃学校(Armeeschießschule)に入学・卒業。明治40年(1907年)、(オーストリア・ハンガリー二重帝国)第九十九メーレン(モラビア)歩兵連隊(99. Mährisches Infanterieregiment)に隊付後、帰国。大正8年(1919年)7月に陸軍中将昇進と同時に待命〔。同年11月、予備役に編入された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥村鋭作」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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