|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 奥 : [おく] 【名詞】 1. interior 2. inner part ・ 柿 : [かき] 【名詞】 1. persimmon 2. diospyros kaki ・ 幸 : [さち] 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune ・ 雄 : [おす] 【名詞】 1. male (animal)
奥柿 幸雄(おくがき さちお、1948年6月6日 - )は、静岡県〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、125ページ〕出身の元プロ野球選手。 ==来歴・人物== 静岡商では1966年、3年生の時に一塁手、控え投手として夏の甲子園県予選決勝に進出。掛川西に5点をリードされるが、リリーフとして登板し終盤で逆転勝ち。甲子園では1回戦の金沢商に快勝。この試合では左打者ながら左翼へ大会第2号本塁打を放ち、その長打力を注目される。またリリーフとして甲子園初登板を果たした。しかし2回戦で、この大会に準優勝した松山商の西本明和投手に抑えられ1-5で敗退。 1966年第1次ドラフトでサンケイアトムズに1位で入団〔。高校時代から「王2世」と呼ばれており、背番号は読売ジャイアンツの王と同じ1番を貰った〔。サンケイでは一塁手の豊田泰光、小淵泰輔に衰えが見られ、その後継として大きく期待される。1年目から一軍入り、翌1968年には66試合に出場、シーズン後半には五番打者に起用される。同年は四番に入る試合もあり、期待の大きさがうかがえるが、打撃面では伸び悩みが続く。1969年には一塁手にロバーツや途中入団のチャンスが入り、出場機会を増やすため外野手としても起用された。しかし1970年のシーズン中に周囲の重圧に耐えきれず突然失踪し〔、そのままチームを解雇されてしまった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥柿幸雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|