翻訳と辞書
Words near each other
・ 奥泉光
・ 奥泉駅
・ 奥洞戸村
・ 奥洞海仮停車場
・ 奥洞海駅
・ 奥津
・ 奥津―上斎原バイパス
・ 奥津中継局
・ 奥津典子
・ 奥津国道
奥津城
・ 奥津島比売命
・ 奥津島神社
・ 奥津嶋神社
・ 奥津川
・ 奥津彦
・ 奥津文夫
・ 奥津村
・ 奥津村 (岡山県)
・ 奥津村 (愛知県)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

奥津城 : ミニ英和和英辞書
奥津城[おくつじょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 

奥津城 : ウィキペディア日本語版
奥津城[おくつじょう]

奥津城(おくつじょう)は、上総国夷隅郡興津(現在の千葉県勝浦市興津字要害)にあった城。別名・興津城(おきつじょう)。
伝承によれば、正嘉2年(1258年)に地元の武士である佐久間氏によって築城されたとされているが、城の実在を確認できるのは戦国時代に入ってからとされる。その後、真里谷氏正木氏の支配下に入った。
正木氏が奥津城を領したのは、天文13年(1544年)頃とされているが、天正8年(1580年)に正木憲時里見義頼に叛旗を翻したときには、里見軍に攻められて「興津巣城計(すじろばかり)」すなわち城郭部分以外が撃破されて裸の状態になったという(『妙本寺文書』「里見義頼書状」)。その後、天正18年(1590年)の小田原征伐後に廃城になった。
外房地域の主要な湊であった興津から1km北にある丘陵の尾根の上にある。地形的には海に向かって伸びる丘陵の南端に位置しており、標高は約120m、城下があったと推定される北側の集落との高低差は30mほどである。南北400m・東西100mの規模で南側の南北100m・東西50mの方形の主郭が唯一の曲輪となっている。その東側には巨大な土塁が築かれ、北端には虎口を守るための櫓台が設けられた。城の北側には街道が、南側には興津の湊に続く尾根道があり、両者の交通を掌握するのに便があった。
== 参考文献 ==

*府馬清『房総の古城址めぐり〈上巻〉』(有峰書店、1977年)
*千葉城郭研究会 編『図説 房総の城郭』 (国書刊行会、2002年)
*川名登 編『すべてわかる 戦国大名里見氏の歴史』(国書刊行会、2000年)


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「奥津城」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.