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奥 浩平(おく こうへい、1943年10月9日 - 1965年3月6日)は、日本の学生運動家。遺稿集『青春の墓標』で知られる。 == 来歴・人物 == 1943年10月9日、東京都に4人兄弟(姉1人、兄2人)の末っ子として生まれる。世田谷区立守山小学校、目黒区立第六中学校(現:目黒区立目黒中央中学校)を卒業。1959年4月、東京都立青山高等学校に入学。高校2年時の1960年6月、樺美智子の死に触発されて安保闘争に参加する。 1962年3月、都立青山高校を卒業。1年間の浪人生活ののち、1963年4月、横浜市立大学文理学部に入学。史学研究部やマルクス主義研究会でのクラブ活動を経て、同年7月に中核派に加盟し、原潜寄港阻止闘争や日韓会談反対闘争などに参加する。 1965年2月、羽田で行われた椎名悦三郎外相訪韓阻止闘争で警官隊と衝突し、警棒で鼻骨を砕かれ負傷、蒲田総合病院に入院。退院後の同年3月6日、ひばりが丘の自宅で大量の睡眠薬を服用して自殺した(21歳没)。勉強机の上には『資本論』第1巻が読み止しのまま開かれており、手には一輪のカーネーションが握りしめられていた。 高校卒業時からの恋人〔奥とは都立青山高校の同級生だったが、卒業直後の1962年3月下旬から親密な関係を築いた。〕は、早稲田大学入学後に革マル派に加盟した。党派を異にしてからも交際は続いたが、党派間抗争が激化するとともに事実上の別離に至った。奥の自殺の要因の一つとして、この恋人との関係をめぐる苦悩が挙げられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥浩平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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