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奥田助七郎 : ミニ英和和英辞書
奥田助七郎[おくだ すけしちろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [すけ]
 (n) assistance
: [しち]
  1. (num) seven 

奥田助七郎 : ウィキペディア日本語版
奥田助七郎[おくだ すけしちろう]

奥田 助七郎(おくだ すけしちろう、1873年明治6年) - 1954年(昭和29年)9月8日)は、日本土木技術者1874年(明治7年)生まれの記述もみられる。名古屋港開港の功労者として評価される。
== 人物 ==
京都帝国大学土木工学科に学んだ後、愛知県庁に入庁し、1900年(明治33年)8月(1904年(明治37年)とする記述もみられる)に愛知県土木技師となった。奥田は1906年(明治39年)9月28日、開港前だった名古屋港報知新聞社主催による博覧会「ろせった丸」を入港させた。これは工事反対者を納得させる目的で、本来四日市港に寄港する予定の同船を呼び込んだものである。1920年大正9年)には初代名古屋港務所長に就任し、名古屋港の発展に貢献した。貯木対策・人造石工法などの築港事業の研究にもつとめたという。1940年(昭和15年)に退官し、『名古屋築港史』(1951年完成、1953年名古屋港管理組合出版〔国立国会図書館サーチによる。〕)を執筆した。1954年(昭和29年)9月8日没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「奥田助七郎」の詳細全文を読む




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