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奥野ダム(おくのダム)は静岡県伊東市鎌田、二級河川・伊東大川本川の河口から約6.0km上流に建設されたダムである。 静岡県熱海土木事務所が管理する補助多目的ダムで、伊東大川の治水と伊東市への上水道供給を目的に建設された。伊豆半島を流れる河川に建設された河川法上のダムとしては初の例である。堤高63.0mの中央土質遮水壁型ロックフィルダムである。ダムによって形成された人造湖は松川湖(まつかわこ)と呼ばれる。 == 沿革 == 伊東大川は伊東市街を貫くようにして流れる。このため伊東市の水源として重要な役割をもっているが、一方で大雨の際には洪水は一気に伊東市街に押し寄せる。ゆえに古くより氾濫被害の絶えない河川であったが1958年(昭和33年)の狩野川台風において、伊東市に壊滅的な被害を与えた。この狩野川台風を契機に伊東大川の河川改修が計画されたが、流路延長10kmの内約8kmは山地であるため堤防が建設できず、残り2kmの平地も河川両岸に人家や温泉街が密集していることもあって、堤防を新規に建設することは事業費の増大を招き、事実上不可能に近かった。 一方、伊東市は熱海市と並び伊豆地方の観光地として、海水浴客や伊東温泉への観光客が多く訪れる重要な観光都市でもあった。国鉄(現・JR東日本)伊東線や伊豆急行線が通過していることもあり、首都圏のベッドタウンとしても注目され人口は急増。温泉街の拡大も含め上水道の需要が大きく高まった。だが伊東大川の自然流量では増加する人口に対応できるだけの取水が次第に困難となって行き、新たな水源の確保に迫られた。 こうした経緯を踏まえ河川管理者である静岡県は、伊東市の治水安全度を高めると同時に伊東市への上水道需要を確保するためには伊東大川に多目的ダムを建設して対処するのが、最も妥当な方法であるとの結論を得た。そして1972年(昭和47年)より伊東大川総合開発事業の中心事業として、伊東市の奥野地先にダムを建設する計画を立てた。これが奥野ダムである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥野ダム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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