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奥野 史子(おくの ふみこ、1972年4月14日 - 本名・朝原 史子(あさはら ふみこ))は、日本の元女子シンクロナイズドスイミング選手、タレント。夫は元陸上競技選手、北京オリンピック男子4x100mリレーの銅メダリストの朝原宣治。 == 来歴 == === 生い立ち === 京都府京都市出身で、現在も同市内に在住。京都市中京区にある呉服店に、三姉妹の末っ子として生まれた〔奥野史子さんの基礎データ 財団法人大阪市スポーツ緑振興協会 平成12年、平成22年8月28日閲覧〕。4歳のときに、京都市の水泳教室、「京都踏水会」で水泳を始め、さらに6歳(小学校1年生)からシンクロナイズドスイミングを始めた〔。京都市立龍池小学校、京都市立城巽中学校を卒業。中学生時代に、井村雅代が代表を務める「井村シンクロクラブ」でシンクロナイズドスイミングの指導を受けた。四天王寺高校に推薦で入学。在学中には、シンクロナイズドスイミングが初めて正式種目となった国体に出場して優勝した。さらに、日本代表としても活躍。1989年、FINAシンクロワールドカップパリ大会では、日本チームの一員として銅メダルを獲得。同志社大学商学部への進学後の1991年、世界選手権パース大会でチーム銅メダル、W杯ボン大会でソロ銅メダル・デュエット銀メダル。2年生だった1992年に出場したバルセロナオリンピックではソロで3位、高山亜樹と組んだデュエットでも3位で2つの銅メダルを獲得。同志社大学を卒業した後、同大学院を修了した。1995年1月、腰痛の悪化などを理由に現役引退を表明。その後は、タレントとして各種メディアに出演。また、日本人初のシルク・ドゥ・ソレイユパフォーマーとしてアメリカで活躍。2002年に結婚、直後に妊娠したことを機に、日本でのタレント活動を再開。日本への帰国後には、朝原が副理事長を務める一般社団法人アスリートネットワークの理事としても活動。京都市教育委員や文部科学省中央教育審議会委員などの公職を経て、2015年4月1日付でシンクロナイズドスイミング日本代表時代のコーチだった田中ウルヴェ京と共に、びわこ成蹊スポーツ大学の客員教授に就任〔2015年度新客員教授のご紹介 『びわこ成蹊スポーツ大学新聞』第23号 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥野史子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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