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好地由太郎 : ミニ英和和英辞書
好地由太郎[こうち よしたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 
: [よし]
 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause 

好地由太郎 : ウィキペディア日本語版
好地由太郎[こうち よしたろう]

好地 由太郎(こうち よしたろう、1865年 - ?)はホーリネスの伝道者。
== 生涯 ==
1865年千葉県金田村に生まれた。1882年に17歳で奉公先の女主人に対して性的罪を犯し、それを隠蔽するため殺害・放火して逮捕され、死刑を宣告されるが、未成年のために無期懲役刑になる。
鍛冶橋監獄で、安川亨に聖書を送られる。冤罪で投獄されていた青年伝道者の祈りに心を動かされて、入信した。牢獄内で迫害を受けるが、留岡幸助が教戒師になり、留岡と妻の夏子に大きな影響を受けた。
その後、模範囚になって1904年に出獄して諸方で伝道活動をして、1905年4月に留岡幸助の司式で結婚して巣鴨に住んでいたが、7月より開館した浅草の駒形伝道館に住み込んで伝道をした。
会館以来連夜説教会を開催して多くの人が救われた。公園内で路傍伝道説教をしたが、9月に由地が留守の間に、伝道館で婦人会の最中に、暴徒に襲われ家財道具を焼かれた。好地の妻は暴徒に追われて逃げ場を失い、隅田川大川端まで逃げて逃げ場を失い投身自殺をしようとしたが、聖書を見ておもい留まり、暴徒から逃れることができた。
後に好地のこの時逮捕された暴徒の一人に聖書を差し入れた。後に、多くの重罪人を回心に導いた。
この事件は当時のキリスト教界に知れ渡り、基督教会側の、西洋人一人、日本人一人が忠告委員として、責任者の中央福音伝道館中田重治に忠告しに行った。「中田君。浅草の観音堂の下で路傍説教をさせて、偶像を攻撃させるものだから、あんなことになったのだ。今後注意してもらいたい」と忠告されると、中田は「それなら、更にまされる伝道方を示してくれ給え」と反論した。〔米田勇『中田重治伝』146ページ〕
浅草伝道館を退いた後に、向島須崎町に移り、聖城団と名づけて、出獄人は不良青年の保護や天幕伝道などをした。その頃松山監獄よりいらいで、「熊ん蜂」という通称の囚人を引き受けた。後に彼は、好地の伝道を助けた。〔『中田重治伝』173ページ〕 
1907年11月6日に、中田重治と共に千葉県に巡回して、東金銚子に行った。銚子では都田友次郎(都田恒太郎の父)の伝道を応援した。
1908年5月10日、東洋宣教会が役員制度を設けたときに、柏木聖書学院の教職者になった。〔『中田重治伝』169ページ〕
1908年、大久保百人町に家を建てて家族と共に移り住んだ。その後、全国の監獄伝道を巡回伝道するようになり、司法省の直木監獄課長の紹介状をもらって全国を回った。〔『中田重治伝』174ページ〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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