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好太王碑(こうたいおうひ)は、高句麗の第19代の王である好太王(広開土王)の業績を称えた石碑である。広開土王碑(こうかいどおうひ)とも言われ、付近には陵墓と見られる将軍塚・大王陵があり、合わせて広開土王陵碑(こうかいどおうりょうひ)とも言われる。 4世紀末から5世紀初の朝鮮半島の歴史・古代日朝関係史を知る上での貴重な一次史料である。 == 概要 == この碑は好太王の業績を称えるために子の長寿王が〔好太王碑文研究の新視点 〕〔好太王碑の新たな論争点 〕〔好太王碑 〕建てたもので、碑文には「甲寅年九月廿九日乙酉」(西暦414年10月28日)に建てたとある。 のち1880年(明治13年・光緒6年)頃に清の集安(現中華人民共和国吉林省通化地級市集安市)の農民により発見され、翌年関月山より拓本が作成された。1961年(昭和36年)、洞溝古墓群の一部として、全国重点文物保護単位に指定される。 好太王碑は現在の吉林省集安市の好太王陵の近くに位置している。高さ約6.3メートル・幅約1.5メートルの角柱状の石碑で、その四面に計1802文字が刻まれ、碑文は純粋な漢文での記述となっている〔同じく5世紀の建立の中原高句麗碑においては、征服地である新羅の民衆への理解を考慮し新羅語の制約を受けた表記法になっていると推察される。李 2000〕。碑文は風化によって判読不能な箇所もある。なお、2010年(平成22年)現在、この碑文は風化・劣化を防ぐためにガラスケースで保護されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「好太王碑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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