翻訳と辞書
Words near each other
・ 如何わしい
・ 如何様
・ 如何様師
・ 如何物
・ 如何程
・ 如何経
・ 如何許
・ 如來
・ 如來神掌再戰江湖
・ 如信
如儡子
・ 如在無い
・ 如定
・ 如宝
・ 如宝寺
・ 如実
・ 如実知見
・ 如己堂
・ 如庵
・ 如意


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

如儡子 : ミニ英和和英辞書
如儡子[こ, ね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [らい]
 (n) defeat
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

如儡子 ( リダイレクト:斎藤親盛 ) : ウィキペディア日本語版
斎藤親盛[こ, ね]
斎藤 親盛(さいとう ちかもり、慶長8年(1603年) - 延宝2年3月8日1674年4月13日))は、江戸時代前期の武士文人。通称は清三郎。如儡子(にょらいし/じょらいし)の号で知られる。他に意伝、雪朝庵士峯などと号した。
== 概要 ==
父は出羽山形藩最上氏家臣の斎藤広盛、母は東禅寺勝正の妹。領内の酒田に生まれ、藩主の最上家親に近侍して偏諱を受けたとされる。元和8年(1622年)の最上氏の改易で浪人し、父と共に越後へ放浪するが、父の急死で江戸に出て医師となったという。
その高い教養を生かした文学作品を執筆し、仮名草子の傑作『可笑記』で評価を得る。他に『百八町記』などの著作がある。
万治2年(1659年)に長子の秋盛が陸奥二本松藩主の丹羽光重に仕官したことから、同地に移住して没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「斎藤親盛」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.