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如意ケ嶽 : ミニ英和和英辞書
如意ケ嶽[にょい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

如意 : [にょい]
 【名詞】 1. as one wishes 2. a priest's staff
: [たけ]
  1. (n,suf) (1) peak 2. (2) mountain

如意ケ嶽 ( リダイレクト:如意ヶ嶽 ) : ウィキペディア日本語版
如意ヶ嶽[にょいがたけ]

如意ヶ嶽(にょいがたけ〔『京都市の地名』、『東山三十六峰 -京都案内記-』、『角川日本地名大辞典』などによれば、濁らない。〕、にょいがだけ)は日本京都東山に存在する。標高472メートルで、山頂は京都市左京区粟田口如意ヶ嶽町。他の表記・呼称は如意ヶ嶽、如意嶽、如意岳、如意ヶ峰(にょいがみね)、如意山(にょいやま)など。また如意ヶ嶽は京都市左京区滋賀県大津市の境ともなっており、鹿ヶ谷から池ノ谷地蔵を経て園城寺へ至る山道は「如意越」(にょいごえ)と呼ばれ、これは京と近江の近道とされ〔如意ヶ嶽の戦いなど合戦の舞台になったことがあるほか、城跡も残っている(後述)。また古来より信仰を集めた山であり、山中にはかつて大規模な山岳寺院・如意寺(にょいじ)が在った。
支峰(西峰)として標高465.4メートル〔*>466メートルとの表記も一般的。国土地理院の平成9年の1/10000地図では465.95メートル。国土地理院のwebによる地図閲覧サービスでは2012年5月現在、465.4メートル。京都市計画局平成19年1/2500の地図では465.44メートル。〕の大文字山(だいもんじやま)があり〔『京都 大文字五山送り火』〕、8月16日に執り行われる京都の伝統行事、五山の送り火の大文字として著名であり、逸話も多い。この大文字山はその山上から京都市内を一望でき、ハイキングコースとしても人気がある。本項では如意ヶ嶽と同時に支峰の大文字山なども併せて解説する。
== 概要 ==


京都東山の一峰で、東山の主峰〔『角川日本地名大辞典』、『京都市の地名』、竹村俊則『新撰京都名所図会』または『昭和京都名所図会』、京都観光Navi など。『東山三十六峰 -京都案内記-』は、明治時代までは第一峰とされていたとし、『雍州府志』では東山の頂、『京都坊目誌』では東山の主山。〕。標高472メートル。比叡山を東山に含むか否かについては諸論あるが、含めないとした場合、最高峰が如意ヶ嶽である〔*>東山三十六峰はもとより定義が曖昧なものであり三十六という数字も単に「数が多い」という意味しかない。1957年京都新聞編集局『東山三十六峰 -京都案内記-』でも比叡山を含めるか否かの問題は議論が有るものとしている。ただし同書では本来は如意ヶ嶽が北限ではないのかとしながらも、「現代」(1957年当時)においては最早比叡山を含めることが市民権を得ているとしている (p.15)。〕。京都府と滋賀県の県境に位置し、山域は北白川、浄土寺、鹿ヶ谷にまたがる。京都側の麓はおおよそ、今出川通丸太町通の東端。京都市左京区北白川銀閣寺浄土寺鹿ヶ谷辺り。滋賀県側はおおよそ大津市長等山園城寺近辺。北は白川の上流部を挟み比叡山支峰四明岳、南は南禅寺山科区となっている。
五山の送り火の筆頭、大文字として著名で、また山中にかつて園城寺(三井寺)の末寺であった「如意寺」(にょいじ)なる大規模な寺院が存在するなどしており、現在でも山中には信仰の対象となる施設が多い。また山上からの眺望は素晴らしいものである〔『昭和京都名所図会』〕。
名称の語源については諸説あるが、一つは『諸社根元記』に曰く、「日神岩戸を出てさせたまひてその御光顕れ出てたりけるを、八百万神悦びて皆意のごとくなると宣ひしより如意山と名付く」が名称の元(天照大神天の岩戸から出るやその御光により八百万の神は喜び皆意の如くなる)〔斜体部は『東山連峰に思う』p.50より引用〕というもの。今一つは先述の「如意寺」が由来であるとの説〔。なお、古い文献では、如意の山、如意が峰などのほか、『扶桑京華志』では「如意宝山」、『日次紀事』では「東山浄土寺山」〔*>ただし同じ著者の『雍州府志』ではこれは如意ヶ嶽とは別の山。〕、などの記述が見られる。『雍州府志』「如意嶽」ではこれを東山の頂とし、如意の瀑もこことしている。しかしこちらでは送り火の言及はなく別項目である「慈照寺山」で送り火に言及している
大文字山山頂は如意ヶ嶽山頂の西方1.3キロメートル強の位置にあり〔、標高465.4メートル。三等三角点が設けられている。如意ヶ嶽と大文字山は混同されがちであるが、現在では別の山である。京都市内からは如意ヶ嶽は全く見えず、大の字の見える山は、西側の大文字山である〔『大文字送り火 説明資料』〕〔『東山三十六峰を歩く』〕。
古くは両山を同一視する向きが強く、この周囲の山塊を如意ヶ嶽と呼んでおり〔、江戸時代の書物では「如意ヶ嶽で送り火が行われる」〔『東山三十六峰を歩く』で、本居宣長宝暦6-7年、おおよそ1750年代)『在京日記』、百井塘雨寛政年間、おおよそ1790年代)『笈埃随筆』の例が紹介されている。〕、如意ヶ嶽を俗に大文字山と言う〔『花洛名勝図会』「如意ヶ嶽」〕などといった例が見られた。1791年(寛政3年)、神沢貞幹の『翁草』では、如意峰と、大の字の持った浄土寺山の二山が並立している図版が掲載されている。その後「大文字の送り火」が定着するにつれ、それが行われる支峰が独立し大文字山と呼称されるようになったという〔。
近年も混同は続いており、両山は同じものであるとも〔、もともと如意ヶ嶽であったが「大文字」の送り火が著名になり、大文字山と呼ばれるようになったとも〔如意ヶ嶽の西側または中腹の通称が大文字山であるとも〔『京の大文字ものがたり』p.68 (1990)、『東山国有林風致計画』p.2 (1936)〕いう。大文字保存会内でも同一視する者がいるなどするという〔。なお2003年の資料によれば、大文字保存会は公式には、送り火を行う山を「大文字山」としている〔〔〔『東山連峰に思う』〕〔〔『史料 京都の歴史 8』p.171「鹿ヶ谷村」〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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