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妹尾 隆彦(せお たかひこ、1920年(大正9年)- )は、日本の著作家。 ==略歴== 1920年(大正9年)香川県丸亀市生まれ。関西大学専門部卒業。1941年(昭和16年)、大阪税関在職中に応召し、陸軍一等兵として従軍。真珠湾攻撃の知らせをフランス領インドシナのハイフォンで聞く。第55師団歩兵第112連隊第3大隊に所属し、英語を話せるためビルマ戦線で情報の蒐集、住民に対する宣伝を行なう。 総員150名のカチン高原掃蕩隊の一員となり、途上の渡河でカチン族の協力を得たことをきっかけに交流を深める。日本軍の撤収で単身サンプラバムに残った際、すすめられてカチン族のコーカム(王)となり、カチン国の憲法を起案。首相を任命し、裁判を行なう。のちにイギリス軍によって懸賞金がかけられる。 即位1ヵ月後に命令をうけて帰還し、1946年(昭和21年)復員。大蔵事務官、運輸事務官をへて、大阪市港湾局勤務。帰国後、みずからの体験を『カチン族の首かご』として執筆。本書の解説を書いた梅棹忠夫は、妹尾の体験について、ビルマ族に対するカチン族の独立運動だったのではないかと推察している。 大蔵省、運輸省、大阪市役所勤務、1970年万国博に出向。75年定年退職。76年メキシコのエチェベリア元大統領の顧問として渡墨、国立メキシコ大学で創造工学の講義。87年日本人のメキシコ移住90周年記念事業団事務総長。〔『現代日本人名録』1987年〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「妹尾隆彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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