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始関 伊平(しせき いへい、1907年4月7日 - 1991年11月26日)は、昭和期の商工官僚・政治家・弁護士。建設大臣などを歴任した。 == 経歴 == 千葉県市原郡(のち市原市)出身。東京帝国大学法学部を卒業後、1930年に商工省に入省する。岸信介に引き立てられ、鉱山局長・鉄鋼局長などを歴任、戦後資源庁長官となる。 1953年の第26回衆議院議員総選挙では分党派自由党から立候補して初当選。以後、日本民主党・自由民主党を経て通算9回当選する(ただし、1955年の第27回衆議院議員総選挙・1972年の第33回衆議院議員総選挙・1983年の第37回衆議院議員総選挙では落選)。 この間、第2次池田内閣から第1次佐藤内閣にかけて通産・労働・科学技術の各政務次官を務め、衆議院の建設・内閣両委員長も務めた。1981年の鈴木改造内閣では建設大臣として入閣する。1983年の第37回衆議院議員総選挙後に政界を引退、弁護士業に専念した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「始関伊平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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