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姚嘉文[よう かぶん]
姚 嘉文(よう かぶん)は、台湾の政治家。考試院長、元民主進歩党主席。 1957年、台湾省の公務員普通統計職員試験にトップで合格すると、交通部電信総局(現在の中華電信)に入った。その後、台湾大学法学部などを卒業し、1966年に弁護士の資格を得る。カリフォルニア大学バークレー校への留学から帰国した1973年には、林義雄や張徳銘と一緒に弁護士事務所「平民法律服務中心」を設立した。また、比較法学会の総幹事として司法改革や法治主義の推進に努めた。1975年、林義雄と郭雨新の訴訟を提起し、「党外大護法」の栄誉を受ける。1978年には「護法と変法」を出版し、国会の全面改選を訴えた。同年開催された国民大会代表選挙に参加したが、おりしもアメリカと中華民国との断交が決まり、選挙は中止された。 1979年、美麗島事件で逮捕、起訴され懲役12年の判決を受ける。その後、1987年に仮出獄すると、同年12月に第2代民進党主席に当選する。1988年、民進党主席として「台湾主権独立案」を採択した。翌1989年には台湾新憲法の枠組みを提案する。またこの年、妻の周清玉が彰化県長に当選、自身も県政府顧問に就任する。1992年の立法委員選挙では当選したものの、再選を狙った1995年の選挙ではあえなく落選。再起をかけた1998年の選挙でも落選してしまう。その後、2000年に陳水扁が総統に就任すると、総統府資政に就任する。2002年から2008年まで考試院長を務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「姚嘉文」の詳細全文を読む
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