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姜 珉鎬(カン・ミノ、1985年8月18日 - )は、韓国のプロ野球選手(捕手)。ロッテ・ジャイアンツ所属。 == 経歴 == 韓国プロ野球の現役選手では希少な済州特別自治道済州市生まれで、韓国プロ野球全歴史を通しても、済州道出身では2人目である。 済州道には野球部を運営している学校がなかったため、中学の時から慶尚北道浦項市の浦項製鉄中学校に野球留学した。同系列の浦項製鉄工高を経て、2003年ドラフトで優先指名の権利を持っている三星ライオンズの指名を受けられず、2次ドラフトでロッテ・ジャイアンツに指名された。 入団2年目のから頭角を現し、翌年のには捕手として韓国プロ野球史上最年少で、フルイニング出場を達成。この活躍により翌年以降、チームの正捕手の座を獲得して現在に至り、守備よりも打撃の方が売り物。捕手としての守備はたびたび批判を受けるが、バットの方でチームに貢献してきた。 は北京オリンピック野球韓国代表として出場。の第2回WBC韓国代表にも選ばれ、これから韓国代表の正捕手の座を担うべき若手の先頭として期待されている。オリンピックでは大会途中、大腿の肉離れで故障したベテランの陳甲龍の代わりに捕手の座に座り、韓国代表の全勝での決勝進出に貢献した。しかし、決勝のキューバ戦では、9回の裏1死1、2塁の危機で四球の判定に疑問を持ち、審判に問い合わせた所、コミュニケーションのまずさから主審に抗議と誤解されて退場処分を受けた。それに激高して退場する時にマスクとミットをダッグアウトに叩き付け、IBAFから罰金を課せられた。2008年シーズンは、正捕手としてチームの8年ぶりのポストシーズン出場に貢献。個人的にもキャリア最高の成績を残して自身初ゴールデングラブ賞も受賞し、ジャイアンツのキャッチャーでゴールデングラブ賞を受賞したことも史上初。またチーム内でも李大浩とともにロッテの人気選手にも成長した。 第2回WBCではベテランの朴勍完に押され、バックアップの捕手を務めた。 2009年シーズンは肘の故障などに悩まされ、出場試合が減り5年ぶりに100試合を下回った。またひじの手術を受けるためポストシーズンにも出場しなかった。2010年シーズンは復活し、自己最多の23本塁打を記録した。2011年も19本塁打と活躍し、自身2度目となるゴールデングラブ賞も受賞した。 11月、第1回WBSCプレミア12に韓国代表として出場した〔프리미어12 국가대표팀 최종 엔트리 명단 발표 ''The official site of Korea Baseball Organisation'' (2015年10月10日) 2015年10月21日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「姜ミン鎬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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