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姜 在渉(カン・ジェソプ、1948年3月28日 - )は、大韓民国の政治家。検察官を務めた後に政界入りし、国会議員を5期(第13代、14代、15代、16代、17代)、2006年から2008年まで當時野党であったハンナラ党の代表を務めた。2008年に李明博政権が発足した直後に行われた総選挙における候補者公認を巡る党分裂騒動の責任を取るため総選挙不出馬を宣言し野に下った。2011年4月27日に行われた京畿道城南市盆唐乙選挙区の国会議員補欠選挙に立候補〔[オピニオン]姜在渉氏vs孫鶴圭 〕〔韓国補選の最大激戦地、与野党の大物が一騎打ち -連合ニュース2011年4月4日〕したが、民主党代表の孫鶴圭に敗れた〔韓国補選で与党敗北、民主は次期大統領選に弾み -連合ニュース2011年4月28日午前1時3分〕。 == 略歴 == 1948年3月28日慶尚北道義城郡生まれ ;学歴 :1967年:慶北高等学校卒業 :1974年:ソウル大学校法科大学卒業 :2005年:金鳥工科大学校名誉工学博士 :2009年:全北大学校名誉獣医学博士 ;職歴 :1970年:司法試験合格 :1973年3月~1975年10月:陸軍法務官 :1975年11月~1983年8月:光州・釜山・大邱、ソウル地方検察庁検事 :1980年~1985年:大統領秘書室法務秘書官 :1983年~1987年:法務部検察局高等検察官 :1987年3月~1988年4月:ソウル高等検察庁検事 ;議員 :1988年~1992年:第13代国会議員(全国区、民主正義党→民主自由党) :1992年5月~1996年5月:第14代国会議員(大邱直轄市西区、民主自由党→新韓国党) :1996年4月~2000年5月:第15代国会議員(大邱広域市西区、新韓国党→ハンナラ党) :2000年5月~2004年5月:第16代国会議員(大邱広域市西区、ハンナラ党) :2004年5月~2008年5月:第17代国会議員(大邱広域市西区、ハンナラ党) ;党職・議員活動 :1988年:民正党青年自願奉仕団総団長 :1990年2月~1992年5月:民自党政策委員会副委員長 :1993年3月~12月:党スポークスマン :1993年12月~1994年:党総裁秘書室長 :1996年7月~1997年8月:法司委員長 :1997年8月~9月:新韓国党院内総務 :1997年9月~10月:党大統領候補特別補佐 :1998年4月~2000年5月:ハンナラ党大邱市支部委員長 :1998年8月~2008年5月:国会科学技術情報通信委員会委員 :2000年5月~2002年12月:党副総裁 :2000年12月~2002年2月:国会政治改革特別委員会委員長 :2002年5月~2003年:党最高委員 :2002年6月~2003年5月:大邱市支部副委員長 :2003年:ハンナラ党最高委員 :2005年:韓・EU議員外交協議会会長 :2005年3月~12月:ハンナラ党院内代表 :2006年7月~2008年7月:ハンナラ党代表最高委員 :2007年:ハンナラ党大統領選対委員長 姜在渉プロフィール を参照して作成。なお、出馬した選挙区については東亜日報編『 窓 2008』(東亜日報)の現役人名録に掲載されている「黨籍 」(歴代国会議員 選挙・党籍 変動)を参照した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「姜在渉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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