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威穆帝[いぼくてい]
威穆帝(いぼくてい、)は、後黎朝大越の第8代皇帝(在位:1505年 - 1510年)。名は黎濬(れい しゅん、)。憲宗の次男。 == 生涯 == 弟粛宗の死後即位したが、酒色に溺れて暴政をほしいままにした。母の兄弟である阮種、阮伯勝を重用して自身の即位に反対した祖母の徽嘉淳太后や朝臣、宗族を多く殺した。明から冊封使として訪れた許天錫は威穆帝を「鬼王」と評した。 威穆帝の残忍な統治は多くの人心に反感を引き起こした。威穆帝に投獄されていた従弟の簡修公黎は獄吏に賄賂を渡して脱獄、清華に逃走し、そこで兵を挙げた。端慶5年(1509年)11月に反乱軍は都昇龍に迫ると、威穆帝は逃亡した。その後黎に捕まり鴆毒を飲んで死んだとも(『大越史記全書』)、逃亡中に殺されたとも言われている。威穆帝に一族を殺されていた黎は大砲でその屍を粉々にし、愍厲公に落とした。 清華出身の軍人の支持を得た黎が襄翼帝として即位した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「威穆帝」の詳細全文を読む
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