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ばさらとは、日本の中世、主に南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、実際に当時の流行語として用いられた。婆娑羅など幾つかの漢字表記がある。 == 概要 == 語源は、梵語(サンスクリット語)で「 (伐折羅、バジャラ)= 金剛石(ダイヤモンド)」を意味する。平安時代には雅楽・舞楽の分野で、伝統的な奏法を打ち破る自由な演奏を婆娑羅と称するようになった。これは、「ダイヤモンドのような硬さで常識を打ち破る」というイメージが仮託されたものである。更に鎌倉時代末期以降、体制に反逆する悪党と呼ばれた人々の形式や常識から逸脱して奔放で人目を引く振る舞いや、派手な姿格好で身分の上下に遠慮せず好き勝手に振舞う者達を指すようになり、以降この意味で定着する。ただし、意味の転訛は不明であるともされる。 ただし、こうした通説には異説もある。そもそも「バジャラ」の濁音「ジャ」から清音「サ」へ音が変化するのは不自然であり、「婆娑」という言葉が語源で、接尾語の「ら」が付いたものと考えられる〔遠藤(2014)p.15。〕。「婆娑」の意味は、「舞う人の衣服の袖が美しくひるがえるさま。また、舞いめぐるさま」、あるいは「さまよいめぐるさま。徘徊するさま」(日本国語大辞典)である。先述の『太平記』での記述も、足利方の武士たちが派手な出で立ちで傍若無人に「徘徊(婆娑)」する様を、公家の舞楽用語である「婆娑羅」を用いて自称したと取れる〔遠藤(2014)pp.16-17。〕。しかし、『太平記』の記述はその後の婆娑羅の意味を決定づけるものだった。婆娑羅は、本来の徘徊の意味ではなく、それに付随した「派手さ」が本義であると理解される素地ができ、安土桃山時代にはかぶき者と重ね合わされ、粗忽な乱暴者の振る舞いとして婆娑羅は解釈し直されたと考えられる〔遠藤(2014)p.18。〕。 足利直義(将軍尊氏の弟)主導の下に、室町幕府の基本方針として編まれた『建武式目』では、ばさらを禁止している。古典『太平記』には、源姓足利氏筆頭執事の高師直や、近江国(滋賀県)守護大名の佐々木道誉(高氏)、美濃国(岐阜県)守護大名の土岐頼遠などのばさら的な言動・行動が記されている。これらの大名は「ばさら大名」と呼称され、ばさらの代表格とされている。『太平記』は「ばさら」に対して否定的な記述をしており、ばさらが原因で国が乱れると断じている〔大森・島田(1990)p.91。〕。その一方で、太平記が描くばさらの情報は詳しく、前述の佐々木道誉をはじめとするばさら大名達の豪奢な生活、傍若無人な振る舞いが詳らかに描かれている〔大森・島田(1990)p.91。〕。身分秩序を無視して実力主義的であり、公家や天皇といった名ばかりの時の権威を軽んじて嘲笑・反撥し、奢侈な振る舞いや粋で華美な服装を好む美意識であり、後の戦国時代における下剋上の風潮の萌芽となった。ただし戦国時代の史料に「うつけ」や「カブキ」は出てくるが、「婆娑羅」およびそれに類する表現は全くと言っていいほど無い〔鍛代敏夫 『戦国大名の正体 家中粛清と権威志向』 中央公論新社〈中公新書2350〉、2015年11月25日、pp.149-150。そのため同書では、『戦国BASARA』のように「戦国」と「ばさら」を組み合わせるのは誤りだとしている。 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ばさら」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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