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『子供と魔法』(こどもとまほう、)は、モーリス・ラヴェルが作曲した1幕のオペラ。オペラとバレエを融合させた幻想的なオペラ作品で、ラヴェル自身『ファンタジー・リリック(幻想的オペラ)』と名付けている。また『子供と呪文』と表記されることもある。 == 作曲の経緯 == 1914年にパリ・オペラ座の監督に新しく就任した〔具体的な日付は不明だが、第一次大戦期の中であると判明している。〕ジャック・ルーシェ(Jacques Rouché)〔かつて『マ・メール・ロワ』のバレエ化を委嘱した人物でもある。〕は、おとぎ話を題材とした童話バレエの台本の作成を作家シドニー=ガブリエル・クロディン・コレットに持ちかけた。遅筆であったコレットは異例の早さで台本を執筆し、完成後その内容に満足したルーシェは幾人かの作曲家の名を候補に挙げた。両者はしばらく黙した後、ルーシェが「ラヴェルではどうでしょう」と提案し、コレットはその提案に大賛成したという。 台本がラヴェルのもとに届いたのは1918年のことで、受け取った後の1920年に作曲を承諾するが、思うように作曲は進まず、ラヴェルはオペラの一場面の作曲を終えたところで、『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ』を作曲するために一旦中断し、完成まで長い時間を要している。その後は再び始めることに困難を極めたという。 その間、オペラ上演の主導権はパリ・オペラ座からモンテカルロ歌劇場へと移り、歌劇場の支配人ラウール・ギュンブールがラヴェルを訪問し、劇場のために彼の新作のオペラを上演したいと力説した。これは1911年にモンテカルロ歌劇場で、前作の『スペインの時計』が上演された際に大成功を収め、その次のオペラ作品に意欲を示していたのである。ラヴェルはその後、数ヶ月間はひたすら作曲に没頭し、総譜の譲渡の期限として1924年の12月31日の時点で作曲を終え、初演までに辛うじて間に合ったのだった。 初演は1925年の3月21日にモンテカルロ歌劇場(グラン・テアトル)で、ヴィクトル・デ・サバタの指揮、主役の子供役はマリー=テレーズ・ゴレが担い、演出はラウール・ギュンブール、バレエの場面の振り付けは当時20歳のジョージ・バランシンの担当によって行われ、大成功を収めた〔ただし、成功を収めなかったとする説もある〕。 モンテカルロでの上演後、1926年の2月1日にパリのオペラ=コミック座でパリ初演が行われたが、聴衆と批評家の反応は賛否両論であった。しかし、その後は各地で上演され、4年後にプラハ、ライプツィヒ、ウィーン、サンフランシスコなどで行われている。 日本での初演は、1954年4月5日、日比谷公会堂で、渡辺暁雄、東京フィルハーモニー交響楽団により、演奏会形式で行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「子供と魔法」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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