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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
子子子子子子子子子子子子は、日本の言葉遊びである。「ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子子猫、獅子の子子獅子)」と読む。この問題を考え出したのは嵯峨天皇、解いたのは小野篁であると伝えられている。 嵯峨天皇の時代、内裏に「無悪善」と書いた立て札が立てられた。天皇が篁に読み方を尋ねたところ「さが(悪)なくてよからん(嵯峨天皇がいなければよいのに)」と読んだため、読めたのは篁が書いたために違いないとして怒った天皇は、自分は何でも読めるのだと弁明する篁に「子」の字を12個連ねたものを差し出し「ならば、これが読めるか」と問うたところ、「ねこのここねこ、ししのここじし」とたちどころに読んだため、天皇の怒りが解けたという〔「日本古典文学全集28 宇治拾遺物語」 昭和62年5月30日第十六版 小学館 小林智昭訳p165〕。 == 解説と成立時期 == 「子」という漢字には、「ね」(訓読み、十二支から)、「こ」(訓読み)、「し」(音読み、呉音及び漢音)、「じ」(「し」の変化形)の4通りの読み方がある。このため、このような読み方が可能となる。篁の機転をあらわす話であるといえる。 この話の初出は宇治拾遺物語(1213年-1221年頃成立)の巻第三の十七「小野篁広才の事」である。 前半の「無悪善」のくだりは平安時代後期の江談抄の第三(1104年-1108年ごろ成立)が初出で、十訓抄(1252年成立)の第七などにも出てくる〔「日本古典文学全集28 宇治拾遺物語」 昭和62年5月30日第十六版 小学館 小林智昭訳p165〕が、後半の話は「子子子子子子子子子子子子」ではなく「一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝」(月夜には来ぬ人待たるかきくもり雨も降りなん恋いつつも寝ん)となっている。 このため、元からあった「無悪善」の話に、宇治拾遺物語の成立した鎌倉時代初期までに「子子子子子子子子子子子子」の話が付け加えられたと考えられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「子子子子子子子子子子子子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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