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子母澤寛 : ミニ英和和英辞書
子母澤寛[しもざわ かん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 

子母澤寛 : ウィキペディア日本語版
子母澤寛[しもざわ かん]

子母澤 寛 (しもざわ かん、1892年2月1日 - 1968年7月19日)は日本の小説家北海道厚田郡厚田村(現・石狩市)出身。本名・梅谷 松太郎。洋画家三岸好太郎は異父弟にあたる。
== 人物 ==
祖父の梅谷十次郎(通称、斉藤鉄太郎又は鉄五郎)は、幕府から切り米20俵の家禄を受けていた御家人彰義隊に参加し、箱館戦争に敗れて捕虜となったが釈放され、札幌へ移り開墾に従事するが成功せず、札幌から10里ほど離れた石狩の漁村・厚田で漁場を持った。この祖父は網元で、旅館と料理屋を兼ねた「角鉄」も経営した村の顔役だった。御家人崩れのやくざ風な人柄であったとされる。創価学会第2代会長戸田城聖と同郷で少年期よりの知己である。後に子母澤の出版を戸田の会社が受け持っており、相当数の著作を発表している。子母澤寛も厚田に生まれ、早くに実母と別れ、祖父に溺愛されて育った。
旧制北海中学校(現北海高等学校)、明治大学法学部卒業。はじめは弁護士志望だったが、帰郷して材木会社に勤め、1918年に再び上京し、電気商に勤め、翌1919年読売新聞社に入社。さらに1926年に東京日日新聞に移り、新聞記者をするかたわらで、尾佐竹猛らの指導で旧幕臣の聞き書きをまとめ、1928年『新選組始末記』を出す。その後、『新選組遺聞』『新選組物語』の「新選組三部作」を出版し、その後の作家ら(司馬遼太郎池波正太郎など)に引用される。
代表作に『勝海舟』(大河ドラマ勝海舟』原作)等。随筆に『座頭市』のもととなった『ふところ手帖』がある。1962年第10回菊池寛賞
筆名は居住地の東京市大森区新井宿(現在の東京都大田区中央四丁目)子母沢より。「寛」は語呂がよかったからだという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「子母澤寛」の詳細全文を読む




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