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子育地蔵(こそだてじぞう)は、長野県佐久市岩村田の地蔵堂の地蔵尊、石仏。 == 概略 == 子育地蔵(こそだてじぞう)は、長野県佐久市岩村田の柳堂地区の地蔵堂に祀られている。 江戸時代に宝永山が噴火し、その降灰により飢餓となり、岩村田では3歳以下の子供の間引き(子供狩り)を行い 40名の乳幼児が犠牲となったので、その供養のため宝永5年(1707年)に建立された〔『歴史編中山道岩村田宿』信州佐久いわんだ逸品会平成17年9月26日全29頁中22頁左中図〕。 今も、子供が水疱、風邪、麻疹、おたふく風邪などになった時、お参りすれば、治るとか、子供が丈夫に育つとか、言われ、信仰されている。 昭和7年(1932年)に岩村田蔦石地区から、柳堂地区に遷された。 毎年秋に縁日を開き、近くの西念寺住職が読経し、多くの子供や崇敬者などが参拝する。 「さらわれし 祖が幼児よ 地蔵尊 果てしなく追う 蔦石の森」の悲しい歌が残っている。 地蔵の台座石は岩村田七石(蔦石、潰石、赤石、夫婦石、信濃石、鞍掛石、勝田石)中の「夫婦石(みょうといし)」の一部〔金沢正昭 『歴史に学ぶ岩村田の昔佐久市岩村田小学校開校130周年』 平成14年11月2日発行、全47頁中5頁〕。 ところで、この地蔵より以前にも、蔦石に子育地蔵があったが、安土桃山時代の天正年間に岩村田住民の多くが上州藤岡へ移住した時に、この地蔵を背負って運び、藤岡の宮本町に安置したという〔『北佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会 全434頁中70頁昭和53年11月15日発行〕。今も宮本町に子育地蔵がある〔 金沢正昭 『歴史に学ぶ岩村田の昔佐久市岩村田小学校開校130周年』 平成14年11月2日発行、全47頁中8頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「子育地蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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