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孕石 元泰(はらみいし もとやす、生年不詳 - 天正9年(1581年)3月頃)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。今川氏、武田氏の家臣。通称は藤六、主人。主水佑・和泉守を自称。諱の「元」は今川義元の偏諱と思われる。 == 生涯 == 今川氏の家臣・孕石光尚の子として誕生。 はじめ今川氏に仕えるが、永禄11年(1568年)の武田信玄の駿河侵攻によって武田氏の家臣となった。天正9年(1581年)3月、三河国の徳川氏の侵攻により高天神城陥落すると捕らえられ、旧怨のために切腹させられた〔『家忠日記』『三河物語』。〕。 なお、降伏者で切腹を申しつけられたのは孕石一人であった。切腹の際、極楽があると信じられた西方向ではなく、南に頭を向けて腹を切ろうとし、それを指摘されたも、敢えて方角を直さなかったと言われている〔大久保忠教1620s『三河物語』〕。 『家忠日記』『三河物語』に拠れば、今川家臣時代は人質時代の徳川家康と屋敷が隣り合わせであった。鷹狩りが好きな家康が放った鷹が獲物や糞を隣家の孕石の屋敷に落としており、度々苦情を申し立てていた。そのことに腹を立てていた家康により数十年後ののち彼は切腹させられたのである。 子の孕石元成は、土佐山内氏に仕えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「孕石元泰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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