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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 字 : [じ, あざな] 【名詞】 1. character 2. hand-writing
チュノム(、喃字)はベトナム語を表記するために漢字を応用して作られた文字。日本語の漢字表記では「字喃」と書かれるが、その「字」はチュノム表記の「」(:U+5B81(宀 + 丁)+ 字、U+21A38)を置き換えたものである。13世紀-20世紀初期に使われた。 == 概要 == チュノムがいつ発生したかについては議論があるが、ベトナム語と中国語とは別の言語であるため、固有名詞をはじめとしてベトナム語にしか存在しない単語を表記する需要が存在した。一般にチュノムとして紹介されることが多いのは、意味や音の似た漢字を偏や旁として組み合わせて新しい字を形成するものである。例えば、数字の「3」は「」と発音されるので、音の近い「巴」を偏としてそれに意味を表す「三」を旁として組み合わせた「 (U+20027) 」を大字として用いる。「畑」など、日本の国字と同じ字形のものもあるが、日本の国字は、字喃の影響を受けていない。 しかしながら実態としては、人名・地名などの固有名詞や土着の単位を表すための万葉仮名的な漢字の借用から発達したと考えられている。丁朝の都である華閭で発見された碑文に見える国号大瞿越の瞿はベトナム語の(「大きい」の意)を写したものとされており、これをチュノムと認めるのであれば、チュノムの使用は少なくとも10世紀に遡る。 同音や似た音の漢字をそのまま使用してベトナム語を表現する万葉仮名的あるいは仮借的な使用法や、漢字の異体字や略体を転用することも多く、それらも通常はチュノムに含まれるので日本の国字よりも広い概念である。上記例にある「ba(数字の3)」は14世紀の碑文では「波(漢越音もba)」の字が当てられているほか、長さの単位「sào」には似た音の「高(漢越音はcao)」が用いられている〔清水・Lê・桃木 1998〕。通常の漢字と紛らわしい場合には、「く」字形や「口」字形の記号を小さく字の左右の上方に付けてチュノムであることを明示することもある。一般にチュノムとして紹介されることが多い、漢字やその一部を組み合わせて新字を造る使用法は比較的遅れて登場したもので、造字法では形声が圧倒的に多い。また、中世のベトナム語には双音節構造が残っており、2文字で1音を表す例も報告されている〔。このように、意味だけでなく音の要素も強いため、前近代ベトナム語の再構成にとって貴重な材料となっている。 支配層、知識階層が漢字漢文を使用していたのに対して、チュノムは民衆のものとされることもあるが、実際の使用には漢字の知識が必要であったため、どちらかというと自文化意識の強い知識人たちのものであったと思われる。王朝時代にはベトナム語を用いた詩を「国音詩」「国語詩」と呼び、これはチュノムで書き表されていた(15世紀の『国音詩集』など)。 歴史上では、陳朝を簒奪した執政期間と、西山(タイソン)朝の阮恵(グエン・フエ)の時期に漢字・チュノム混じり表記のベトナム語が中央の公文書に制式言語として採用された。地方においても、それ以前から相当数の公文書が漢字・チュノム混じり表記のベトナム語で書かれていたと考えられ、広南阮氏の属国となった順城鎮(1693 - 1832)の王家文書(パリ・アジア協会所蔵)においてもチャム文字表記のチャム語文書と共に多数の漢字・チュノム混じり表記のベトナム語文書が存在する。しかしながら、胡朝も西山朝も短命に終わったため正書法が確立されるには至らず、チュノムの字体や表記は相当にバラバラだった。このことも後にチュノムが廃れていく一因となったと思われる。 各時代を通じて、チュノムが専用されるのは詩文や韻文を用いた文学作品がほとんどである(代表的作品に『傳奇漫録』『金雲翹』『大南国史演歌』などがある)。その他の場面では、固有名詞やベトナム語の単語を表すためにチュノムを漢文の中に散りばめた漢字・チュノム混じり文(これを漢喃(ハンノム)文と呼ぶ)として使用され、チュノムだけで文章を構成することはほとんど無かった。 現在ベトナム語は、専ら「クオック・グー(、國語)」と呼ばれるローマ字表記法によって表記されている。これは、17世紀にカトリックの宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが体系化し、フランスの植民地化以降普及したものである。植民地期にはクオック・グーはフランスによる「文明化」の象徴として「フランス人からの贈り物」と呼ばれたが、一方でカトリック教会は積極的にチュノムを使用しており〔牧野 2005〕、植民地時代には金属活字も作っていた。独立運動を推進した民族主義者も後期にはクオック・グーによる自己形成を遂げた世代となり、中国との違いを強調するナショナリズム、識字率向上を通じた近代化にクオック・グーの方が有利であることなどのため、多くがクオック・グーを支持して独立後のベトナム語の正式な表記法となった。1945年に不便性と非効率性を理由に漢字やチュノムは排除されるに至った。 現在ベトナムでは、漢字やチュノムを復活させるべき、という主張が出てきている。また、経済成長と漢字に対する政策的締め付けが弱まったことから、近年は神社や仏寺などの修築・新築にあたってチュノムを用いた対聯や扁額・石碑・鐘銘を新造するところも出ているが、美的感覚・装飾的意味合いが強くチュノムが日常的な場面に復活してきているとは言えない。''(「大きい」の意)を写したものとされており、これをチュノムと認めるのであれば、チュノムの使用は少なくとも10世紀に遡る。 同音や似た音の漢字をそのまま使用してベトナム語を表現する万葉仮名的あるいは仮借的な使用法や、漢字の異体字や略体を転用することも多く、それらも通常はチュノムに含まれるので日本の国字よりも広い概念である。上記例にある「ba(数字の3)」は14世紀の碑文では「波(漢越音もba)」の字が当てられているほか、長さの単位「sào」には似た音の「高(漢越音はcao)」が用いられている〔清水・Lê・桃木 1998〕。通常の漢字と紛らわしい場合には、「く」字形や「口」字形の記号を小さく字の左右の上方に付けてチュノムであることを明示することもある。一般にチュノムとして紹介されることが多い、漢字やその一部を組み合わせて新字を造る使用法は比較的遅れて登場したもので、造字法では形声が圧倒的に多い。また、中世のベトナム語には双音節構造が残っており、2文字で1音を表す例も報告されている〔。このように、意味だけでなく音の要素も強いため、前近代ベトナム語の再構成にとって貴重な材料となっている。 支配層、知識階層が漢字漢文を使用していたのに対して、チュノムは民衆のものとされることもあるが、実際の使用には漢字の知識が必要であったため、どちらかというと自文化意識の強い知識人たちのものであったと思われる。王朝時代にはベトナム語を用いた詩を「国音詩」「国語詩」と呼び、これはチュノムで書き表されていた(15世紀の『国音詩集』など)。 歴史上では、陳朝を簒奪した執政期間と、西山(タイソン)朝の阮恵(グエン・フエ)の時期に漢字・チュノム混じり表記のベトナム語が中央の公文書に制式言語として採用された。地方においても、それ以前から相当数の公文書が漢字・チュノム混じり表記のベトナム語で書かれていたと考えられ、広南阮氏の属国となった順城鎮(1693 - 1832)の王家文書(パリ・アジア協会所蔵)においてもチャム文字表記のチャム語文書と共に多数の漢字・チュノム混じり表記のベトナム語文書が存在する。しかしながら、胡朝も西山朝も短命に終わったため正書法が確立されるには至らず、チュノムの字体や表記は相当にバラバラだった。このことも後にチュノムが廃れていく一因となったと思われる。 各時代を通じて、チュノムが専用されるのは詩文や韻文を用いた文学作品がほとんどである(代表的作品に『傳奇漫録』『金雲翹』『大南国史演歌』などがある)。その他の場面では、固有名詞やベトナム語の単語を表すためにチュノムを漢文の中に散りばめた漢字・チュノム混じり文(これを漢喃(ハンノム)文と呼ぶ)として使用され、チュノムだけで文章を構成することはほとんど無かった。 現在ベトナム語は、専ら「クオック・グー(、國語)」と呼ばれるローマ字表記法によって表記されている。これは、17世紀にカトリックの宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが体系化し、フランスの植民地化以降普及したものである。植民地期にはクオック・グーはフランスによる「文明化」の象徴として「フランス人からの贈り物」と呼ばれたが、一方でカトリック教会は積極的にチュノムを使用しており〔牧野 2005〕、植民地時代には金属活字も作っていた。独立運動を推進した民族主義者も後期にはクオック・グーによる自己形成を遂げた世代となり、中国との違いを強調するナショナリズム、識字率向上を通じた近代化にクオック・グーの方が有利であることなどのため、多くがクオック・グーを支持して独立後のベトナム語の正式な表記法となった。1945年に不便性と非効率性を理由に漢字やチュノムは排除されるに至った。 現在ベトナムでは、漢字やチュノムを復活させるべき、という主張が出てきている。また、経済成長と漢字に対する政策的締め付けが弱まったことから、近年は神社や仏寺などの修築・新築にあたってチュノムを用いた対聯や扁額・石碑・鐘銘を新造するところも出ているが、美的感覚・装飾的意味合いが強くチュノムが日常的な場面に復活してきているとは言えない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チュノム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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