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黄皇后(こうこうごう、生没年不詳)は、南明弘光帝の即位前の最初の正室。孝哲簡皇后(こうてつかんこうごう)と諡された。 == 経歴 == 洛陽で青銅器の蒐集家・黄奇瑞の娘に生まれた。兄は黄九鼎、弟は黄調鼎。 天啓2年(1622年)10月、福王朱常洵の長男・徳昌王朱由崧(のちの弘光帝)と結婚し、妃(正室)となった。崇禎14年(1641年)以前に早世し、洛陽の孟津県東山頭村に葬られた。父の黄奇瑞は正四品都指揮僉事に任じられたが、崇禎14年に李自成が洛陽を攻撃した際、殺害された。 弘光帝が南明の皇帝に即位すると、黄氏は孝哲懿荘温貞仁靖皇后と追諡された。黄奇瑞は洛中伯に追封され、黄九鼎がその洛中伯を継ぎ、黄調鼎は保安伯に封じられた。 清軍が南京を占領し、弘光帝が捕虜になって処刑された後、黄調鼎は遺骨を黄氏と合葬された。永暦帝が南明の皇帝に即位すると、孝哲懿荘温正仁靖儀天昭聖簡皇后の諡号を改贈された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黄皇后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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