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孝安皇后(こうあんこうごう、? - 1596年)は、明の隆慶帝の皇后。姓は陳氏。名は香児〔『康熙通州志』〕。 == 経歴 == 通州(北京)の人。陳景行と張氏のあいだの次女として生まれた。嘉靖37年(1558年)9月、嘉靖帝に推挙されて裕王朱載垕(のちの隆慶帝)にとつぎ、裕王妃(後妻)となった。男子を1人産んだが、夭折した。隆慶帝が即位すると、皇后となった。父の陳景行は伯爵(固安伯)に封じられた。 隆慶帝は女色に耽溺し、皇后と諍いを起こした。隆慶2年(1568年)から、陳皇后は危篤状態で病気療養中という理由をつけて別宮(鹹安宮)に送られ、顔を合わせることもなくなった。幼年の皇太子(李皇貴妃の子、のちの万暦帝)が代わりに嫡母のもとに通い世話をした。 隆慶6年(1572年)に隆慶帝が崩御の後、陳氏は李皇貴妃と共に皇太后となり、仁聖皇太后と呼ばれた。24年後、崩じた。孝安貞懿恭純温恵佐天弘聖皇后と諡された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「孝安皇后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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