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孝恩寺(こうおんじ)は大阪府貝塚市木積(こづみ)にある浄土宗の仏教寺院。山号は慈眼山。本尊は阿弥陀如来。釘を1本も使わずに建てられた「木積の釘無堂」と呼ばれる観音堂(国宝)が有名である。 == 歴史 == 国宝に指定されている観音堂は、もとは「観音寺」と称し、孝恩寺とは別個の寺院であった。旧・観音寺は「和泉名所図会」のような近世の文献には「木積観音」(こつみかんのん)とあり、奈良時代の神亀3年(726年)、行基による開基と伝える古寺である。行基は現在の大阪府堺市の出身で、奈良時代に架橋、灌漑などの社会事業を行い、民衆の支持を受けていた僧で、東大寺大仏の造立にも寄与している。行基の開創伝承をもつ寺は奈良県西部から大阪府南部にかけて多数存在し、観音寺もその1つで、「行基建立四十九院」の一つとされている。付近の地名を「木積」というが、これは行基が多数の寺院を建立するにあたり、山から切り出してきた材木の集積場であったことに由来する地名であるという。〔田中日佐夫『仏像のある風景』、pp.267 -268〕 平安時代初頭までに七堂伽藍が揃っていたが、室町時代に山名氏や大内氏らの戦火に巻き込まれ大半の建物を焼失、安土桃山時代には根来寺の傘下にあったがために、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州攻めで観音堂以外のほぼ全ての建物を焼失した。 この際に、仏像を薬師池に沈めて消失を免れた、という逸話は地元の人間には有名な話である。 唯一兵火を逃れ現存する観音堂は「木積の釘無堂」と呼ばれ、鎌倉時代の密教建築様式を伝える貴重な文化財として国宝の指定を受けている。なお「釘無堂」とは建築に際し釘を使用していないとの意味であるが、伝統工法の木組みを用いた社寺建築では、構造部分に釘を使用しないのは必ずしもこの堂に限ったことではない〔このことについては、たとえば以下のウェブページを参照。 *織戸社寺工務所 (2015年7月20日閲覧) *藤井寺社建築工業 (2015年7月20日閲覧)〕。 旧・観音寺は1889年(明治22年)に廃寺になった。1903年(明治36年)、観音堂が特別保護建造物(後の「重要文化財」)に指定された際は、寺院名を冠さず単に「観音堂」として指定された。その後、1914年(大正3年)、観音堂は孝恩寺に合併され、「孝恩寺観音堂」と称されて21世紀に至っている。孝恩寺は阿弥陀如来を本尊とする浄土宗寺院であるが、その由来、草創年月などは不明である。 境内の宝物館には、仏像など国の重要文化財19件を所蔵・展示している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「孝恩寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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