|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 孝 : [こう] 【名詞】 1. filial piety ・ 淵 : [ふち] 【名詞】 1. deep pool 2. abyss 3. the depths ・ 皇后 : [こうごう] 【名詞】 1. (Japanese) empress 2. queen ・ 后 : [きさき] 【名詞】 1. empress 2. queen
汪皇后(おうこうごう、1427年 - 1507年1月15日)は、明の景泰帝の廃皇后。 == 生涯 == 金吾衛三品指揮使であった汪泉の孫娘。正統年間、郕王朱祁鈺(のちの景泰帝)の邸に入り、正室となった。2人の女子を産んだ。土木の変により景泰帝が即位すると、皇后になった。父の汪英は正一品都督に封じられた。 気性の激しい女性だったといわれるが、しかし良妻として名高い。景泰3年(1452年)、景泰帝は甥の皇太子朱見深(のちの成化帝)を廃すと、実子の朱見済を皇太子に立てようと図った。汪皇后はそれに反対したが、景泰帝は激怒して汪氏を廃し、代わって杭氏(朱見済の母)を皇后に立てた(景泰年間に崩じた)。奪門の変後、汪氏は郕王妃に降格した。 正徳元年12月23日(1507年1月15日)、薨去した。の建議により、妃の礼で葬られ、皇后の礼で祭祀された。また、貞恵安和景皇后という簡素な諡号が贈られた。南明において弘光元年(1645年)、孝淵粛懿貞恵安和輔天恭聖景皇后の諡号に改められた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「汪皇后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|