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孝靖太后(こうせいたいごう、1565年3月9日〔嘉靖44年正月27日〕 - 1611年10月18日)は、明の万暦帝の妃嬪で泰昌帝の母。姓は王氏。 == 経歴 == 正六品錦衣衛百戸の王朝寀と葛氏の長女として生まれる。万暦6年(1578年)、後宮に入り、孝定太后(万暦帝の生母)の侍女となった。万暦9年(1581年)冬、万暦帝と関係して妊娠した〔皇后の王喜姐は出産が近い時期で、楊宜妃はすでに死去していた。〕。翌年4月に恭妃に封じられ、8月に朱常洛(のちの泰昌帝)を産んだ。 万暦帝の寵愛はなく、景陽宮で寂しい生活を送った。万暦29年(1601年)、朱常洛が太子となったが、王恭妃は進封がなかった。万暦34年(1606年)に皇長孫(のちの天啓帝)が生まれると、王恭妃は皇貴妃に進んだ。万暦39年(1611年)、薨去した。温粛端靖純懿皇貴妃と諡された。天啓帝が即位すると、孝靖温懿敬譲貞慈参天胤聖皇太后と追諡された。定陵の発掘調査が行われ、遺骸毛髪から血液型がB型であることが判明した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「孝靖太后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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