翻訳と辞書
Words near each other
・ 孝静皇后
・ 孝順
・ 孝養
・ 孞
・ 孟
・ 孟キョウ
・ 孟中里駅
・ 孟二寛
・ 孟仁
・ 孟優
孟光
・ 孟克巴特爾
・ 孟冬
・ 孟哥帖木児
・ 孟嘗君
・ 孟坦
・ 孟垬
・ 孟夏
・ 孟女
・ 孟姜女


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

孟光 : ウィキペディア日本語版
孟光[もう こう]
孟 光(もう こう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての政治家。字は孝裕司隷河南郡洛陽県の人。大尉孟郁の一族。はじめ後漢に、後に蜀漢に仕えた。
「蜀書」、杜周杜許孟来尹李譙郤伝 - 孟光伝には、
「博学で古代の知識に詳しく、あらゆる書物を読破していたが、
最も「三史」(「史記」「漢書」「東観漢記」)の研究に意を注ぎ、漢王朝の古い制度に詳しかった。
公羊春秋」を好み、「左氏春秋」には批判を浴びせ、来敏とこの両伝の「春秋」の解釈について優劣を議論すると、いつも孟光は大声で捲くし立てた。」
とする記述がある。
また、直言を憚らなかったようである。
== 出来事 (年代順) ==

*霊帝の末年、講部吏となる。
*献帝長安遷都の折、益州に逃げ込み、劉焉父子から客礼をもって待遇される。
*劉備の益州平定後、議朗に任命され、許慈らとともに宮中制度の制定にあたる。
*劉禅即位後、符節令・屯騎校尉・長楽少府となり大司農にまで昇進。
*延熙9年(246年)秋、大赦令が出されると、これを非難。
*ある事件にひっかかり免官。
*九十余歳で亡くなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「孟光」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.